開基は五大院の先徳、顕密の博士と称せられた安然尊者と伝えられている。
また信濃国諏訪僧・堯観上人が、山田の澤に霊地を求め、大樹の根本に草庵を結んだのが始まりと伝えられる。上人は、諏訪明神の像を彫刻し、その体内に御丈六寸五分の聖観音像を刻んで納めたのが現本尊と言われている。
山門を潜って石段を登ったところが本堂です。 |
開基は貞観七年(865年)寂・常暁法師と伝える。中興開山は永享元年(1429年)寂・頼意法印。
札所の対象となる観世音は本尊とは別で、『新編武蔵風土記』に伝える「久末村字芋の谷と小貝谷との間なる丘上に三間四方の観音堂あり。
本尊聖観世音座像長五寸ばかり。作知れず。蓮花寺持ち」と。この堂が慶応年間に廃堂となり当寺に合祀された。
本堂左手の観音様にもお手綱が結ばれています。 |
真言密教伝燈阿闍梨・浄蓮坊得蔵法印(寛文元年(16617年)8月7日寂)により開創されたが、旧本堂・旧本尊(薬師如来立像)は戦災により焼失。
有縁の檀信徒の助勢により昭和31年(1956年)に本堂再建、以後、境内諸堂宇等の整備・復興が果たされつつ、今日に至っている。
本堂手前のスペースに駐車しましたが、奥に駐車場があったようです。 |