伊豆横道三十三観音霊場   第一番~第九番
 
第一番 第二番 第三番
東海山 滝見観音堂 万法山 帰一寺 大平山 西法寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
堂内には行基作と伝わる三十三観音が奉安されている。

かつての管理納経所は200m程奥に入った延命寺だった。(現在は無住)

古くは延命堂と称していたが、文明年間(1469~86年)に僧・宝山が延命寺に改めている。

延命寺への橋(海老野橋)を渡って直ぐ左折し川沿いに150m程行くと右手少し奥に観音堂があります。
ご朱印は東福寺さんです(六番も同じ)。
寺伝によれば、正安元年(1299年)中国臨済の帰化僧・一山一寧の開創。

創建のころは帰一庵と称した。

駐車場に車を停め歩きだすとお寺の奥さんらしき方が小さなお子さんをつれて出かけるところ。
「こんにちは」と挨拶をかわしお参りに行きます。

本堂裏手には伊豆三名園の一つに数えられる庭園があるそうです。
(拝観は前もって申し込みが必要)
納経所の三余荘ユースホステルの横の細い道を600m程入った所にあります。

無住ですが本堂の扉は開かれており境内も綺麗に掃除が行き届いてたのでしっかり管理されている様子が伺えます。

余談ですが、若いころは旅では良くユースを利用させてもらいましたが今でも有るんですね。
平成24年01月07日 平成24年01月07日 平成24年01月07日
 第四番 第五番 第六番
文覚山 円通寺 紹霊山 長光寺 大悲山 慈願寺
如意輪観世音菩薩 聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
治承三年(1179年)、文覚上人によって開創、当初は真言宗であった。

文覚はもと遠藤盛遠と名乗る武士であったが出家して、伊豆で源頼朝と出会い、源氏再興を進めたそうです。

その後、僧・東林によって臨済宗に改宗している。

観音堂は源頼朝と会見し源氏再興を促したと伝えられていますが今は有り有りません。

ご朱印はお堂に案内がありますが、禅海寺さんで頂きます。
寺の創建などは不詳。

「豆州志稿」によれば「長光寺は明治六年廃寺、観音堂となる」と記されている。

お堂は仁科中学校の校庭の裏手にあり、参道の手前の道路に少しだけスペースがありますのでそこに停めて参拝します。

ご朱印は2年毎の持ち回りだそうですので、出来るだけ新しいガイドブック等で調べられることをお勧めします。
替わっている時は新しい管理人さんを教えて頂けますので心配は無いとは思いますが。
寺伝によると、延徳元年(1489年)僧・復岩の開創、正保元年(1644年)、僧・明山の再興。

ニ番・帰一寺の末、伊豆八十八ヵ所の第八十ニ番。

ご朱印は1番さんと同じ東福寺さんで頂きます、

東福寺の本堂の天井には、仏師・田村利光(檀家さんだそうです)が4年8ヶ月の歳月をかけて完成させた龍を中心にした漆喰の五百羅漢を見ることができます。
これ結構見ごたえがあります。
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第七番 第八番 第九番
富貴野山 宝蔵院 巌殿山 円成寺 実相山 正法院
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
寺伝によると、大同三年(808年)弘法大師の開創。

金剛蜜院と称したが、後に僧・岩忠が中興し、亨禄天文(1528~85年)のころ僧・清安が再興し曹洞宗に改めている。

標高564mの富貴山の山頂にあります。
以前は自力で登らなければならなかったようですが、現在は門野から自動車道が出来ており直ぐ側まで行けます。

納経所は山の反対側の白川の梅田兼男氏宅になりますので注意下さい。
寺伝によると、弘治元年(1555年)三月、僧・月晈によって創建された。

本尊・聖観世音菩薩は元和元年(1615年)、村人の要望により、国清寺塔中より寺号とともに、真言宗・普賢院跡に移遷されたという。

巡礼の始まりは場所的に見てここが最初になります。

納経帳もこちらで購入しました。
8番さんから国道に出て直ぐに右折し田子港方面に向かいます。

田子の集落に入りJAの先を左折して狭い道を100m程進むと到着です。

寺伝によると、天正六年(1578年)、僧・寿岳によって開創された。

昭和30年に大火があったが、ご本尊は近隣の人の手によって持ち出され無事だったそうです。
平成24年01月07日 平成24年01月07日 平成24年01月07日
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