伊豆横道三十三観音霊場  第十番〜第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
福寿山 江月院 慈応山 普音寺 如意山 法雲寺
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
本尊・聖観世音菩薩像は行基作とされる。

富豪・名倉氏の自念仏で屋敷内のお堂に安置されていたが、宝永年間(1704〜11年)の津波で流され、その後現在地に移建されたという。

昭和13年に名倉氏より部落に移管された。

ガイドブックには駐車場はありませんが、お寺さんの入り口に車2台分位停められる所があります。

ご朱印はお堂に頂けるお宅の案内が貼ってあります。
古くは歯朶野の地に観音堂として創建されたが、応仁元年(1467年)僧・仙天が現在地へ本尊・十一面観世音を移遷し、一宇を建立して普音寺とした。

お寺さんへの道は車が1台通れるほどですれ違える場所はほとんどありません。

私は入ってしまいましたが、出来れば手前の広い道路に停めた方が良いと思います。
7番・宝蔵院を打ち終えたのが15時半頃、まだ時間があるので12番さんへ向かうことにしました。

でもこの間は結構距離があったのです。
(26q位あったと思います)

寺伝によると、草創のころは如意庵と称し真言宗であったが、天正のころに僧・仁叟によって再興され、寺格を得て曹洞宗に改められた。

急な石段を登り本堂へ、本堂は結構新しく、その左手奥に観音堂があります。
平成24年01月07日 平成24年01月07日 平成24年01月07日
 第十三番 第十四番 第十五番
萬松山 普門院 小峰堂 金鳥山 東大寺
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
当初、正観世音を奉安する小堂であったが、鈴木采女正というものが応永七年(1400年)、一寺を建立して僧・模菴を迎え開祖とした。

ガイドブックにはマイクロ可と書いて有りますが、道は狭いです、しかも参道は結構きつい急登です。
途中に停められそうな所も無く一寸迷いましたが一気に登りました、過去に登りきれず往生したことがあるので一瞬そのことが浮かびました。

出来れば手前の広い道路に停めて歩いた方が良いとは思います。
縁記などの詳細は不詳。

巡礼二日目はここからスタートとなりました。

駐車場はありませんので、すぐ前の道路に車を停めての参拝となります。

ご朱印はお堂に向かって右手に数軒行った長谷川昭次様方で頂きます。
草創のころは東大庵と称し真言宗に属する小庵であったが、慶長元年(1596年)菩提寺と合併して東大寺に改めた。

開山は普門寺七世の松翁和尚。

観音堂は本堂に向かって左手にあります。

ご住職は体をこわされたということで、現在は無住です。
今回はたまたま千葉県東金におられるお兄さんのご住職が来ておられてご朱印を頂くことが出来ました。
平成24年01月07日 平成24年02月04日 平成24年02月04日
第十六番 第十七番 第十八番 
稲荷山 善光庵 東泉山 南禅寺 東陽山 満昌寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
十七番・南禅寺より移遷され創建された。

ご本尊は県の指定文化財。

車は道路の脇に駐車スペースがありますので、そこに停めて少し入った所にお堂があります。

ご朱印はお堂に案内が貼ってありますが、今はお堂から下って道路に出た左手のお宅で頂けます。
寺伝によると、開創は行基菩薩。

当初は那蘭陀寺と称し、康和元年(1099年)実道法師が伽藍を創建したと伝えられる。

後二度にわたって山崩れに遭い堂宇は谷間に埋没するが、天文十年(1541年)鎌倉・正光院の南禅和尚が再建したという。

急な坂を登ったところにお堂があります。

ご朱印を頂くお宅はお堂に連絡先が貼ってありますが500m位離れたところなので電話して良く確認した方が良いです。
寺伝によれば、僧・羅翁の開山、もとは天台宗であった。

慶長三年(1598年)、僧・龍翁によって再興され臨済宗に改められた。

ご本尊の聖観世音菩薩像は聖徳太子作と伝えられる。

無住です、ご朱印は2qほど離れたところにある向陽院さんで頂きます。
平成24年02月04日 平成24年02月04日 平成24年02月04日
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