准秩父三十四観音霊場  第十番~第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
西光山 東福寺 日吉山 大楽院 浄景山 観音寺
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
開基 宥伝僧都 慶安二年(1649年)。

慶安二年宥伝僧都の開創にして、十一面観音像は後藤正房の作で明治三十六年に寄進された。
開山 恒貞親王の御次子恒僧都 大同四年(809年)、中興開山 範誉僧都 延宝五年(1677年)。

大同四年に恒貞親王(淳和天皇五十三代在位八二三−八三二皇太子)の御次子、恵恒僧都の開山と伝えられている。

降って延宝五年に範誉僧都の代に中興された。
玉川八十八ヶ所第十八番札所。
開基 景光上人 慶長八年(1603年)、開山 教蓮社順誉林宗

もと源頼朝の守本尊と伝える観世音菩薩を正治年中(1199−1200年)稲毛某が所領井田巴に安置し一堂を建立した。
文禄四年(1595年)矢上川の洪水で堂宇もろとも流失の災にあい、本尊も所在を失ったのを、後に慶長八年(1603年)景光上人が観音像を掘りあて安置したのが当寺の始まり。
平成29年03月18日 平成29年03月18日 平成29年03月18日
 第十三番 第十四番 第十五番
岩屋堂 無量山 延命院 寿福寺 清水山 無量院
正観世音菩薩 聖観世音菩薩 千手千眼観世音菩薩
当岩屋堂観音の由来について確かな文献はないが、伝説として今に伝わるのは永禄年間の頃この付近一帯を領有していた中田加賀守(禄高三万石)が建立したもの。
その昔、洪水の時に山が崩れ土中より二尺余りの正観世音菩薩像が現れたので、お堂を建て御本堂としたもので岩屋堂観音と呼ばれるようになったとのこと。
宮前公会堂に接続
天文十八年(1549年)に創建。

延宝七年(1679年)六月火災を蒙り堂宇古文書等灰燼に帰したが、宝暦五年(1755年)第十八世妙誉頂眼上人檀信徒有縁の方々より喜捨を得て再建された。
聖観世音菩薩は立像(像高四十四㎝)一本造り彫眼天衣両足先。厨子の銘には聖観世音菩薩御丈一尺三寸の立像とある。
中興開山・恵海法印。

過去帳によれば武州品川の僧寿仙房天文五年(1536年)入院とあるので開基はその頃かと思われる。

観音像は山州清水の観音を模した奈良時代の僧・行基菩薩(668−749)の作と云われている。
平成29年03月18日 平成29年03月18日 平成29年03月25日
第十六番 第十七番 第十八番 
良忠寺 明王山 不動院 真福寺 長谷山 寶泉寺
如意輪観世音菩薩 十一面観世音菩薩 正観世音菩薩
*開山 良忠上人 仁治元年(1240年)春
(中興)第四十一世讚誉上人

浄土宗第三祖記主禅師然阿良忠上人開祖にして、創立年は仁治元年(1240年)春と云う。

当寺の寺号、山号、院号はともに上人の諱をいただいたものである。
*開山 (開闢)慈覚大師(749−864年)。

(中興)常性法印の縁起書によると、慈覚大師が唐より持ち帰られた一尺余の聖不動尊像を大師がこの末吉の地で由緒ある大木より作り上げた、八尺五寸の不動尊像の御腹籠り尊像とされた。

十一面観音像は行基菩薩作。
*開基 (開闢)川崎城主間宮新左衛門信冬公。

(中興)間宮豊前守康俊公開山の海印智済禅師は大永元年(1521年)八月六日示寂。

聖観世音菩薩像は慈覚大師の作と伝えられている。
平成29年03月25日 平成29年03月25日 平成29年03月25日
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