准秩父三十四観音霊場  第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
一心山 阿彌陀院 専念寺 瑞龍山 宗三寺 日王山 荘蔵院 幸福寺
十一面千手観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 千手観世音菩薩
寺伝『千手観音縁起』によれば、元々寺地には富士浅間神社があった。
ここに愚蔵坊照西と云う修行僧(当寺第四世)によって、本霊場の本尊である十一面千手観世音菩薩が招来され、草庵が結ばれた。
折しも浄土宗総本山知恩院の大僧正が江戸へ参向することになり、その砌、この観世音菩薩のことを聞き及んでここを一寺精舎の列に加え、知恩院直末寺として上記の三号を贈り現在に至っているという。
鎌倉右大将頼朝の時代、臨済宗建長寺の末山にして勝福寺と称した。
又、天正(一五七三−一五九一)の頃、小田原北条氏の家臣間宮豊前信盛がこの地に住み、近郷を領地とした時、高綱の子孫と云うことで土地の寄進を行なっている。
この時代(天正年間)下末吉寶泉寺四世自山純應大和尚を開山に迎え、現在の曹洞宗の寺院として開堂された。
*開 基 祐遵法印 応永元年(一三九四)

*開 山 辨井法印 慶長六年(一六〇一)二月二十一日寂

現在の本堂は昭和二十八年の再建にして、高唱念仏の道場として毎月二回、日曜日に月並念仏が修行されている。
平成29年03月25日 平成29年03月25日 平成29年03月25日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
薬王山 無量寿院 医王寺 潮音殿 石観音 景谷山 東観寺 大聖院
十一面観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 十一面観世音菩薩
天正年間(1573−1591年)小田原北条氏の家臣間宮豊前守信盛が当地に住んだ頃、祈願所と定めたことがあったが、宗祖伝教大師の持者とも云われる春光坊祐長法印が開山である。

ご朱印は切れているとのことで、入手できず。

手配しないとダメだと言うことでしたので、何方かに書いてもらっているんですかね。
明長寺の境外仏堂で、御本尊が石像なので石観音と称される。

お堂は開いているのですが、不在の様子。
しばらく待って見ましたが帰ってくる様子が無いので帰りました。
明長寺に電話したら向こうでも頂けるようなのでそのうち伺いますかね。
東海三十三観音霊場、第七番札所。
東海の時も最初は不在で、2回目の訪問で頂いた記憶があります。
*開 基 慈覚大師円仁 大同年間(八〇六−八〇九)
*開 山 什吽法印 文永元年(一二六四)

本尊は慈覚大師円仁御作の秘仏不動明王である。
目黒不動とは一木三体と伝わるので、大同年間創立の霊場と思われる。文永元年(一二六四)什吽法印が開山し、永享元年(一四二九)忠含法印が中興し、享保十五年(一七三〇)恵雄和尚が諸堂宇を改築した。
平成29年03月25日 平成29年03月25日 平成29年03月04日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
水月山 楊林寺 浄流寺 円瀧山 光明院 興禅寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
*開 基 田代冠者藤原之秀忠 大永年間(一五二一−一五三二)
*開 山 東 秀全尼 昭和二年
大永七年(一五二七)九月示寂した城田姓初代兵庫之守弥三郎(藤原秀忠と名乗り歴代武士)の守本尊十一面観世音菩薩を安位詞、代々の城田家一族が約四百年間追善供養を怠りなく堂守りをしてきた。
、昭和五十年に至り第二世東 喆臣により、寺格昇(法地)等本堂再建をし、陽林寺となり現在にいたる。
*開 山 真誉伝公上人 天正十二年(一五八四)十一月十五日

天正十二年開創以来四百十七年の寺歴をもつ。

慶安二年(一六四九)幕府より五石五斗の寺領と御朱印状を付与された。
*開 山 天台宗第四祖慈覚大師円仁

     文徳天皇(在位八五〇−八五八)代 仁寿三年(八五三)二月

御本尊十一面観世音菩薩像は慈覚大師の御作と云う。

また、勝軍地蔵(愛宕権現)を刻み、お山の鎮守として祀られたと云われる。
平成29年03月04日 平成29年03月04日 平成29年06月10日
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