葛飾坂東観音霊場  第十番〜第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
釈迦山 金乗院 久松山 浄林寺 清浄山 吉祥寺
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 三面六臂観世音菩薩
開山は江戸時代、寛永時代と言われています。

本堂にもお参りしてお賽銭を入れたら、中から奥さんらしき人が出てきて「本堂にお参りしてくれた人にご接待です。」と言ってお菓子をくれました。

お寺さんに行ったらきちんと本堂にもお参りしましょう。
何か良いことがあるかも。。。
かつては真言宗の寺院でしたが、後に曹洞宗に改宗。

現在は廃寺となり、跡地には集落センターが建てられています。

この集落センターには「五知如来像」が祀られていました。
かつてのお寺さんの所蔵仏だったのでしょうか。
札所本尊は弘法大師作と言われる三つの顔と六本の腕を持つ「三面六臂観音」。

遠目には馬頭観音風の威嚇を感じる観音様でした。

今回は本堂のお薬師さんの御開帳も行われていました。
平成26年03月21日 平成26年03月21日 平成26年03月21日
 第十三番 第十四番 第十五番
(高野)観音堂 谷中山 宝性院 葛生山 真如院
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
吉祥寺さんから直ぐ着きます。

観音堂は平成十四年の御開帳にあたり、新築されたものだそうです。

今日は天気は良いのですが風が強くて読経していると旗などが被ってきて大変です。
霊場の創始者、秀伝和尚の持寺。

開創より約300年、地方の霊場でここまで続いて来たのは地元の方々のサポートが無ければ出来ないことです。

思いが伝わってくる気がします。

ご開帳の準備、皆を纏めていくのも大変ですよね。
観音菩薩像は、南北朝時代に葛生地域を采地としていた磯玄畜正純が日夜お祈りしていたもの。

磯殿滅亡後、屋敷跡から発見され村人によってお堂が建てられ祀られた。

その後、戦乱によりお堂が焼失、村人によって地中に埋められ、大永六年(1526年)に掘り出され観音堂を再建し祀られたとのことです。
平成26年03月21日 平成26年03月21日 平成26年03月21日
番外 第十六番 第十七番
鍋入観音堂 柳橋山 龍蔵院 不動山 華蔵院
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
別名を「堀出観音」「安産観世音」とも呼ばれるそうです。

結構目立たない所に在りますので、普段は探し出すのは難しいのではないでしょうか。
葛飾坂東霊場創始者・秀伝和尚の菩提寺。

弘法大師が当地に立ち寄り、一宇を建て、「竜堂」と名付けたとされる古刹です。

山門を潜り参道を境内へ、境内に入ると正面に本堂、左手に観音堂があります。

観音堂の右手には立派な白衣観音像が立っています。
元は旗本・大沢領内にあったが、明治初年に廃寺となった。

この時、大沢領の領民であった栗原、一木、斉藤、鈴木、関、高橋の一族が「大沢組合」を組織して大沢氏の菩提寺であった華蔵院を護持しているとのことです。

やはり地元のささえが必要なんですね。
平成26年03月21日 平成26年03月21日 平成26年03月21日
第十八番
益葉山 久昌院
十一面観世音菩薩
天文十八年(1549年)、天翁英公の開山。

観音堂は本堂の左横です。

猿島坂東の第九番札所でもあります。
ちなみにこちらの札所本尊は千手観世音菩薩で観音堂も別になっています。
平成26年03月21日
観音霊場の旅トップに戻る 第十九番〜第二十七番へ