旧小机領三十三観音霊場   第一番~第九番
 
第一番
松亀山 泉谷寺
正観世音菩薩
こちらの観音様は慈覚大師が遣唐使と共に中国に渡った時に、海中に投げられ嵐を鎮めたという伝説を持っています。

日本に戻る際、再び大師の前に姿を現し、筑紫(現在の九州)の地に祀られました。

その後、見誉上人の夢に現れ「東方へ赴け」とお告げされ、遠くこの関東の地で動かなくなり泉谷寺を開いたとされています。

「ご開帳時以外はすべてのお寺さんでご朱印が頂ける分かりませんよ」
とのこと。。。さてどうなるでしょうか。。。(-_-;)
平成22年10月10日
第二番 第三番
瑞雲山 三會寺 熊野山 最勝寺
十一面観世音菩薩 正観世音菩薩
平安時代末期に源頼朝が鳥山八幡宮の西に住んでいた佐々木高綱に命じて建立させたと伝えられています。

観音堂は平成二十年の建立、本尊の十一面観世音菩薩像の胎内には、天平勝宝四年(753年)に、聖武天皇の勅命で行基菩薩が彫ったという「鼻取観音」と呼ばれる、童子に姿を変えた観音様がおられるそうです。

観音堂の写真を撮っていると、庭の掃除をされていた檀家さんらしいご婦人が
「開けますか?」
と言うことで、お堂を開けて頂きました。
二番さんからは歩いて15分程です。

丁度お昼時でしたので昼食を取ってから向かいました。

ご朱印をお願いすると
「本堂へどうぞ」
と言うことで本堂に上らせて頂きお参りしました。

本尊は薬師如来座像、観音様は本尊の隣に祭られていますが、残念ながらお姿を見ることは出来ませんでした。
平成22年10月10日 平成22年10月10日
第四番 第五番
松澤山 専称寺 補蛇洛山 正観寺
如意輪観世音菩薩 聖観世音菩薩
天正年間(1573~1592年)頃の開創、本尊は阿弥陀如来立像です。

山門の左手に観音堂があります。

札所本尊の如意和観世音座像は鎌倉時代の道慶の作と伝えられています。

訪れた時は丁度法事が終わった所でしたので、皆さんが帰られるのを少し待ってご朱印を頂きました。
北条氏家居の矢上の城主・中田加賀守の子の藤佐衛門が父の供養のために寛永二年(1625年)建立。

小机雲松院第十一世・龍山道大和尚を開山とし、父が守本尊としていた弘法大師作と伝わる一寸八分の純金聖観世音菩薩像をを奉納したのに始まる。

観音堂は本堂の前の石段を登った先(写真)にあります。
平成22年10月10日 平成22年10月10日
第六番 第七番
川島山 隨流院 青木山 本覺寺
聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
嘉吉元年(1441年)、臨済宗建長寺派・利庵栄叟和尚の開基。

後に被災し小机の雲松院第八世・栄岩宗茂大和尚が開山となり曹洞宗に改められたとあります。

慶安元年(1648年)、徳川家康より観音堂領三石余りの朱印地を下付されたお寺さんだそうです。

一日目はこちらまでとなりました。
嘉録二年(1226年)、栄西禅師を勧請開山として堂塔伽藍を建立したが、永正七年に兵火により荒廃した。

天文元年(1532年)、小机・雲松院の陽濱元吉禅師により中興開山。

横浜開港当時は、ハリスが駐在し初代アメリカ領事館として使用されたそうです。

京浜急行・神奈川駅から歩いてすぐです。 
平成22年10月10日 平成22年10月16日
第八番 第九番
開塔山 宗興寺 吉祥山 慶運寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
七番さんから歩いて10分ほどです。

元は開塔山・日輪院と言い、開創年代は不明ですが、室町時代の文献には既に記載されていることから歴史の古いお寺さんらしいです。

境内にはヘボン博士が診療所を開いていたことを記念して建てた石碑などがあります。 
八番さんから歩いて5分ほどです。

山門前の石碑(上の写真)には「浦島観世音 浦島寺」と刻まれています。

明治初期までは「浦島寺」というお寺があり、焼失・廃寺となった際に、難をまぬがれた本尊が、慶運寺境内の観音堂(写真右)に奉安されたそうです。

明治初期にはフランス領事館として使用されたとのことです。
 
平成22年10月16日 平成22年10月16日 
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