旧小机領三十三観音霊場   第十番~第十八番
 
第十番 第十一番
子生山 東福寺 仙鶴山 松蔭寺
如意輪観世音菩薩 十一面観世音菩薩
京浜急行・花月園前駅から歩いて5分ほどです。

寛冶元年(1087年)、理源大師の方孫・勝覺僧正霊夢により生麦浦より本尊・如意和観世音菩薩を得てこの地に奉す。

子授け・子育ての仏様として、現在でも信仰が篤いそうです。

以前巡礼した東海三十三観音霊場の第十四番札所でもあります。

その他、武相不動霊場、東国八十八ヵ所、玉川八十八ヵ所などの札所でもあります。
十番さんから約2.4㎞、35分ほどの歩きとなりました。

鎌倉・建長寺の第三十世がこの地に隠居したのが始まり。

本尊は日本最古と言われる来迎印を結んでいる阿弥陀如来で、上野の国立博物館に展示されているそうです。

高台にあり鶴見地区が一望出来るところにあり、境内はそれぼど広く無いですが、きれいに整備されています。
平成22年10月16日 平成22年10月16日
第十二番 第十三番
妙智山 歓成院 海照山 圓應寺
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩
十一番さんから約4.2㎞、1時間ほどの歩きです。

永録三年(1560年)、善通法印によって開創。

観音様は、元はこの地と大倉山駅との中間山腹の飛地境内に祀られていましたが、安政三年(1856年)に本堂が焼失。

焼失を免れた観音堂をこの地に移し、以降、本堂の本尊としたとのことです。

座像の十一面観世音像で、運慶作と伝えられています。
十二番さんから約3.5㎞、50分ほどの歩きです。

開創年代は不明。

現在先位の墓石としては正保四年(1644年)がもっとも古いものだそうです。

古より当山境内より湧き出る泉が近辺の田地を潤したという。

こ祈祷のお寺として有名だそうで、毎月10日に、「護摩修行」が行われるそうです。
平成22年10月16日 平成22年10月16日
第十四番 第十五番
星宿山 正福寺 御霊堂 補蛇洛山 西方寺
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
十三番さんから約1.0㎞、15分ほどの歩きです。

開創年代は不明。

十一面観世音菩薩像は鎌倉権五郎景政の持仏。

景政が奥羽征討後三年の役に負傷し、この地で没した時に、その御霊を御霊権現としてお堂を建て、十一面観世音菩薩像を祀ったのが始まり。

武人の守り神と言われ、願望が成就することが多かったと伝えられています。
十四番さんから約3.3㎞、50分ほどの歩きです。

元々この地には観音堂があり、平安時代から十一面観世音菩薩が地元の守り本尊として、永い間信仰されていました。

鎌倉時代に鎌倉の極楽寺が兵火にあい焼失した際、同寺の塔頭寺院であった西方寺も災火に巻き込まれましたが、逃れた僧侶達が西方寺をこの観音堂の奥に移築した。

山門に至る参道の姿が素晴らしく、水彩画を描かれている方が何名かおられました。
平成22年10月16日 平成22年10月16日
第十六番 第十七番 第十八番 
亀甲山 専念寺 幡森山 龍雲寺 圓國山 観音寺
正観世音菩薩 聖観世音菩薩 正観世音菩薩
十四番さんから約1.5㎞ほどですが、使っているポータブルナビがお寺さんの裏山へ連れて行ったので30分ほどかかりました。

たぶん住所がそこを指しているのだと思いますが、同じようなことが結構あります。

天正十二年(1584年)、一番札所・泉谷寺の六世・本誉耕公和尚により開創。

当時はやや小机寄りの亀甲山に建立されたといわれています。
三日目はこちらからです。

横浜市営地下鉄・仲町台駅より歩きます。

1.8㎞、25分ほどの歩きです。

札所本尊の聖観世音菩薩像は総高約195㎝、江戸中期の作と伝えられています。

天文二十四年(1555年)の開創当時に領主・梶川家内室によって寄進されたものだそうです。
十七番さんから1.6㎞、20分ほどの歩きです。

開創年代は不明。

今から約350年前に真祐法印によって中興開山されたと伝えられています。

持仏である不動明王は別名・白金不動とも言い目黒不動に分身したとも言われるそうです。

写真は観音堂です、本堂の左手にあります。
平成22年10月16日 平成22年11月3日  平成22年11月3日 
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