第十九番 |
第二十番 |
綱崎山 寿福寺 観音堂 |
養老山 真福寺 |
|
|
|
正観世音菩薩 |
千手観世音菩薩 |
十八番さんから3.3q、50分ほどの歩きです。
行基菩薩が諸国行脚の途中、夢のお告げによって、この地にお堂を建立し正観世音菩薩を祀ったのが開創と伝えられています。
観音堂(写真上)は横浜市営地下鉄・センター南駅から歩いて5分ほど、すぐ側に茅ヶ崎城址公園があります。
寿福寺さん(写真右)は観音堂から歩いて10分ほどです。 |
|
十九番さんから3.2q、50分ほどの歩きです。
当寺は真言宗豊山派に属し、本山は大和の長谷寺です。
千手観世音菩薩像は平安時代末期の作、典型的な藤原様式の一木造りで、昭和41年に神奈川県の重要文化財に指定されました。
青山街道の宿場の南側山麓に位置し、荏田宿場の人々の守り本尊として今日に伝えられてきました。 |
平成22年11月3日 |
平成22年11月3日 |
|
第二十一番 |
第二十二番 |
引仁山 薬王寺 |
星宿山 王禅寺 |
|
|
|
聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
二十番さんから2.9q、50分ほどの歩きです。
明治30年に旧寺山町にあった薬王寺が焼失し、45年に現在地に再建されたそうです。
開創年代や詳しい寺歴は不明ですが、中興開山は俊誉(1684年没)、聖観世音菩薩は僧・恵心の作と伝えられています。
写真は観音堂です、本堂の右手にあります。
本日はここまで、東急田園都市線の市が尾駅まで歩き(約1.5q)帰宅となりました。 |
四日目はこちらからです。
小田急小田原線・柿生駅から3.2q、50分の歩きです。
1070年余り前、高野山三世の無空上人がこの地に堂宇を建立し、醍醐天皇より王禅寺の称号を賜ったという由緒正しい縁記を持つお寺さんです。
「関東の高野山」とも呼ばれています。
観音堂は本堂から少し離れたところにあります。
(写真右) |
|
平成22年11月3日 |
平成22年11月6日 |
|
第二十三番 |
第二十四番 |
摩尼山 徳恩寺 |
河上山 福寿院 |
|
|
|
聖観世音菩薩 |
十一面観世音菩薩 |
二十二番さんからバスで「たまプラーザ駅」へ、電車で「長津田駅」を経由して「恩田駅」へ移動します。
歩くと6q強の距離があります。
恩田駅からは200mほどです。
建武二年(1335年)、等海禅師によって開創。
徳川三代将軍・家光から寺領七石を賜ったと有ります。 |
「恩田駅」から「長津田駅」を経由して「つくし野駅」へ移動します。
つくし野駅から900m、15分ほどの歩きです。
二十三番さんから歩くと3.6qほどの距離です。
寛文十一年(1671年)、小川村名主の寄進によって、朝賢法印(1689年没)が開山したと伝えられています。
観音堂も開山から30年後に建立されたという記述が、十一面観世音菩薩の胎内仏とともに発見されたそうです。
この後、「つくし野駅」より「すずかけ台駅」の方が近かったので「すずかけ台駅」へ向かいます。 |
|
平成22年11月6日 |
平成22年11月6日 |
|
第二十五番 |
第二十六番 |
光明山 世尊院 |
補蛇洛山 観護寺 |
|
|
|
聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
「すずかけ台駅」から「藤が丘駅」へ向かいます。
二十四番さんから歩くと6.7qほどあります。
藤が丘駅から1.9q、30分ほどの歩きです。
「北八朔の観音様」として昔から人々に親しまれてきたそうです。
二度の火難により草創については不明。
幕末まで北八朔村の極楽寺が札所として使用されていたそうです。
現在、無住でご朱印は極楽寺さん(右側の写真)で頂きます。
1.5q、25分ほどの歩きです。 |
|
極楽寺さんから1.2q、20分ほどの歩きです。
約500年前の永政年間に、印融法印によって中興開山。(開山の詳細は不詳)
印融法印は室町・戦国時代の真言宗の僧。
武蔵国久良岐郡久保(神奈川県)の出身。
幼くして高野山に登り,無量光院に住む。
関東東密(東寺密教)の衰微を憂いて東行し,武蔵国鳥山(神奈川県)三会寺に住んだ偉材と伝えられる。弘法大師の再来とも崇められた。
<参考文献>伊藤宏見『印融法印の研究』伝記編
新編武蔵風土記によれば「富士見寺」とも呼ばれていたようです。 |
平成22年11月6日 |
平成22年11月6日 |
|
第二十七番 |
川井山 長源寺 |
|
|
|
十一面観世音菩薩 |
二十六番さんから4.9q、80分ほどの歩きです。
途中はバス通りを歩いたので近くまでバスで行くことは出来ると思いますが、事前に調べていなかったので歩きました。
お寺さんの石段の上で猫が迎えてくれました。
天平十一年(739年)、行基菩薩によって開山。
元は華厳宗でしたが、印融法印により中興開山し高野山真言宗に改宗されたそうです。
十一面観世音菩薩は安産や病気平癒の仏様として地元住民の信仰が厚く、三川井と言われる「上川井、川井、下川井」の人々が朝な夕なに参拝に訪れるそうです。
また、雨乞いのお寺としても知られ、祈願により実際に雨を降らせたという記録も残っているとのことです。 |
平成22年11月6日 |
|