三河三十三観音霊場   第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番
薬王山 太山寺
(三ヶ根観音)
性海山 心秋院 妙善寺
(ハズ観音)
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
創建は神亀元年(724年)、行基菩薩の開基。

本寺は標高350mの三ヶ根山頂にあります。
三ヶ根山スカイラインの途中です。

本尊の聖観世音菩薩像は、この里の沖中に夜々に光を放ちて天に輝き漂う大木浪があった。

これを陸に引き揚げ見るに異形の大木なればもし疫神ならんと疑い火を持って、これを焼失せんとするに更に少しも損ぜず、行基菩薩伝え聞き召してこれ誠の霊木なりとし一刀三礼して刻んだもの。

これをこの山に安置し三十七日御修行ありて堂宇を建立し今日に至りとあります。
天平年間(729~749年)行基菩薩の開基。
天文年中(1532~55年)に利春僧都が再興、西林寺と称す。

 寛政年間(1789~1801年)に梅翁恵秀上人が住職となり、この時領主の許可を得て心秋山妙善寺と改称さる、よって梅翁恵秀上人を開山とする。
 五代芳山上人、性海山心秋院妙善寺と改めて諸堂を改築。

 昭和45年(1970年)仏意因縁不可思議をもって、群馬より5尺2寸の十一面観世音の御尊像が到来、奇瑞数々顕わる、ハズ観音と尊称し、爆発的な参詣を見るに至るとあります。
平成22年2月4日 平成22年2月4日
第二十一番  第二十二番
見影山 勧進院 徳林寺
(火防観音)
里郷山 運光院
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
宝徳3年(1451年)、公称文明9年(1477年)融睦尭光上人により、当地方領主・松平対馬守正朝から正卜に至る七代までの領主の位牌所として建立されたもの。

 開基当初は現在の本堂真裏300mのところにある見影山中腹にあったものと伝えられるが、現在地に移転されたのは何時のことか不明である。

 寛政元年(1789年)本堂の再建がなされ、入仏法要が営まれた。

 観世音菩薩は見影山中腹の別堂に安置される秋葉三尺坊御前立本尊として祭られた聖観世音菩薩立像(高さ20cm)であるが通称火防観音といい火を防ぐ観音様として人々に親しまれている。
慶長年間(1596~1625年)、安誉勢春上人が念仏信仰の弘法のため建立。

伊能 忠敬(いのう ただたか) 59歳の頃に 測量の途中 泊られたそうです。

お寺さんは丘の中腹にあります。

車は海岸の駐車場に停めて行くのがよいでしょう。

階段を登ると正面が本堂、左手に観音堂があります。

ご不在?だったので、ご朱印は本堂内で自分で押印です。
平成22年2月4日 平成22年2月4日
第二十三番 第二十四番
醫王山 正法寺 如意山 寶珠院
(草切り観音)
聖観世音菩薩 十一面千手千眼観世音菩薩
創建年代は不詳。

歴応二年(1339年)、足利氏が鳳来寺の僧・玉林坊を招いて再建したと伝えられる。

その際、本尊として鳳来寺から移された薬師如来像(行基菩薩作)は、眼病にご利益があるとの信仰が厚い。

貞亨四年(1687年)、幡豆の安楽寺の末寺となり真言宗から曹洞宗の改宗された。

元録十五年(1702年)、領主旗本・津田外記の祈願所となった。
寛正四年(1463年)の創建。

比叡山の学僧・栄俊が東国巡鍚の途中に当地に立ち寄り、十一面観音を祀ったという。

栄俊はその後、富士山にて修練し吉田口を開き、再び当地に戻り寺号を改め伽藍を整えた。

人々は寺を吉田御坊と呼び、そこからこの地も吉田と呼ばれるようになったという説がある。

天正十九年(1591年)、豊臣秀吉の朱印状を受け、江戸時代にも吉田村内にも寺領30国を領した。
平成22年2月4日 平成22年2月4日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
北星山 西福寺 荻原山 海藏寺 清龍山 金蓮寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
建長六年(1254年)、鎌倉幕府執権・北条時頼が諸国巡遊の折り当地を訪れ、創建されたという。

天台宗の大寺であったが元弘元年(1331年)、兵火にかかって焼失した。

焼け跡の草庵に宿泊した熱田・正覚寺の章久養玉上人が、北斗星が境内の松に来臨する夢を見てこの地が霊地であることを悟った。

上人は伽藍を再建し、山号寺号をこのことにちなんで改め、浄土宗に改宗したと伝えられている。
(北斗星の縁由に依り北星山と称し念仏を唱え西方の福業を得るが故に西福寺と号す)
文明2年(1470年)、現在の西尾市の東南端、善明の里に観経の日想観を観ずるに最も良き地であるとして創建された。

その後、荻原村細畑の里に移り、この時より山号を荻原と称するようにになった。さらに寛永18年(1641年)に現在の地に移り今日に至っています。
山号の起こりである「おぎはら」という地名は、昔一面に浜荻の繁る地であったからといいます。

札所本尊は瑞雲聖観世音菩薩と呼ばれているが、ご来迎の観音像で詳細は不明です。
文治二年(1186年)源頼朝公の命を受けた三河守護職安達盛長が、この地に阿弥陀堂を建立したという。

この阿弥陀堂は愛知県最古の建造物で国宝に指定されています。

足利尊氏は歴応三年(1340年)、尾張国の真言宗・青龍坊をこの地に移し、青龍山金蓮寺と称し、3.3ヘクタール(3町3反)を寄進したと伝える。

後に当地の城主・饗庭妙鶴丸の祈願所になり寛正九年(1797年)、吉良義定の子義弥からも尊信を受けた。
 平成22年2月4日 平成22年2月4日  平成22年2月4日 
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