建長六年(1254年)、鎌倉幕府執権・北条時頼が諸国巡遊の折り当地を訪れ、創建されたという。
天台宗の大寺であったが元弘元年(1331年)、兵火にかかって焼失した。
焼け跡の草庵に宿泊した熱田・正覚寺の章久養玉上人が、北斗星が境内の松に来臨する夢を見てこの地が霊地であることを悟った。
上人は伽藍を再建し、山号寺号をこのことにちなんで改め、浄土宗に改宗したと伝えられている。
(北斗星の縁由に依り北星山と称し念仏を唱え西方の福業を得るが故に西福寺と号す) |
文明2年(1470年)、現在の西尾市の東南端、善明の里に観経の日想観を観ずるに最も良き地であるとして創建された。
その後、荻原村細畑の里に移り、この時より山号を荻原と称するようにになった。さらに寛永18年(1641年)に現在の地に移り今日に至っています。
山号の起こりである「おぎはら」という地名は、昔一面に浜荻の繁る地であったからといいます。
札所本尊は瑞雲聖観世音菩薩と呼ばれているが、ご来迎の観音像で詳細は不明です。 |
文治二年(1186年)源頼朝公の命を受けた三河守護職安達盛長が、この地に阿弥陀堂を建立したという。
この阿弥陀堂は愛知県最古の建造物で国宝に指定されています。
足利尊氏は歴応三年(1340年)、尾張国の真言宗・青龍坊をこの地に移し、青龍山金蓮寺と称し、3.3ヘクタール(3町3反)を寄進したと伝える。
後に当地の城主・饗庭妙鶴丸の祈願所になり寛正九年(1797年)、吉良義定の子義弥からも尊信を受けた。 |