南知多三十三観音霊場 
 第一番〜第九番
 
第一番 第二番 第三番
慈雲山 影現寺
(時志観音)
龍華山 弥勒寺 信渓山 全忠寺
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 千手観世音菩薩
夜中に東名高速を走り、1時間程仮眠をして7時半頃に到着しました。

納経帳を購入、観音霊場巡りの始まりです。

永正元年(1505年)の開創、安産・虫封じの観音様だそうです。

札所本尊の十一面観音は天正四年(1576年)の春、佐久島の漁夫の網にかかり海中より出現したものであるとのことです。
慶長元年(1596年)友林光益和尚の開創で宝暦三年(1753年)火災にあって堂宇の多くを焼失したが、八代祖春和尚により再建されたとあります。

また、十三代道明大和尚を当寺法地勧請開山とし二世中興とするともあります。

この後は四番さんを経由して三番さんへ向かいます。
天文三年(1534年)田原城主三代目戸田孫八郎は、今川義元からその忠義を賞せられ「全忠」という号を賜り、 知多半島のこの地に河和城(千八百石)を築き伊勢湾の水軍を監視した。

仏門に深く帰依した孫八郎は城外に一道場を建立して「全忠寺」と名付け禅僧宗薫和尚を師と仰ぎ初代住職とし、開山されたとあります。

結構立派な山門があります。
平成22年2月20日 平成22年2月20日 平成22年2月20日
 第四番 第五番 第六番
浦養山 称名寺 天竜山 誓海寺 大乗山 法華寺
千手観世音菩薩 十一面千手観世音菩薩 聖観世音菩薩
旧浦戸村にあったが、第二次世界大戦の影響を受け昭和19年に現在の地に移転してきたとのことです。

創建は永禄十一年(1568年)梅空吟龍上人本地西明寺の西堂として草庵を建て阿弥陀如来を安置したと伝えられているとのようです。

写真は観音堂です。
弘治元年(1555年)開創にて、三番札所全忠寺の末寺とのことです。

知多四国霊場開山所のひとつであり二十七番札所でもあります。
神亀五年(728)行基菩薩の開基という古刹で、七堂伽藍を有し、 精舎十七坊み及ぶ天台宗弘通の道場として栄えていた。

天文五年(1536)に織田信長の兵火により、本尊(行基作と伝える丈一尺八寸木刻坐像の聖観世音)と一院を 残すのみという悲運に遭い、その後、復旧再興の機運に恵まれたものの、慶長五年(1600)関が原の合戦のとき、 石田三成に味方する九鬼水軍の手により放火され、再び焼失したとのことです。
平成22年2月20日 平成22年2月20日 平成22年2月20日
第七番 第八番 第九番
真厳山 長福寺 仙翁山 長寿寺 大悲山 正法寺
如意輪観世音菩薩 十一面観世音菩薩 不天羂索観世音菩薩
寺歴や縁起の文献などが残されていないのですが、 本堂修理の時に棟木に記されていた文政年中(1818)の墨蹟から、当時の再興と考えられているとのことです。

こちらの観音様の手に持つ宝珠には不思議な徳があり救世観音とも言われているそうです。
寺歴は定かではないのですが、その棟札から文政三年(1820)に本堂建立という、 わずかな歴史が垣間見られるのみとのことです。 当寺は源義朝の武将鎌田兵衛政清の屋敷跡で、
天福元年(1233)比叡山の僧、徹円阿闍梨が護摩堂を建立し、 鎌田兵衛政清の念持仏であった毘沙門天像を安置したのがはじまりと伝えられています。
平成22年2月20日 平成22年2月20日 平成22年2月20日
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