南知多三十三観音霊場 
 第十九番〜第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
池水山 正衆寺 白雲山 円増寺 普門山 影向寺
千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
古くは、長面寺と称号する天台宗の寺院で、源氏の須細為基の庇護を受け、さらに建久二年には源頼朝から寺領を寄進されるなど隆盛を極めた。

後、関が原の戦いで九鬼大隅守の兵火で堂塔を焼失。
その後、領主千賀重親が諸堂伽藍を再興し、千賀家の菩提寺と定め、寺名を正衆寺と改めたとあります。

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天長五年(828)に創建され、文明二年(1470)に叡賢上人により中興されました。

また、元禄九年(1696)に本堂の改築がなされたとあります。
永禄年間(1558)の創立で、明鏡山浄心寺と称していました。

その頃この地区には、浄心寺、影向寺、興福寺の三ヶ寺がありましたが、明治初年にこの三寺を合併して、 普門山影向寺と改められたとあります。
平成22年2月20日 平成22年2月20日 平成22年2月20日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
龍翔山 宝珠寺 松原山 西方寺 端岸山 天龍寺
千手観世音菩薩 十一面千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
豊浜正衆寺の末寺であって、開創も同時代であろうといわれているそうです。

真水不足で、飲み水にもこと欠く知多半島に「観音さまの水」として、近郷によく知られた宝珠寺の井戸水は、 霊験あらたかで、今も渇水することがないといいます。
永正年間(1504)に創建された、天台宗の寺院であったと伝えられるが、 江戸中期に火災にあって全焼したたため、寺院の由来も詳しいことは不明とのことです。 天台宗か真言宗であって、延寿山端岩寺と称したのですが、寛政九年(1797)に堂宇を再興して、 天龍寺と改められたとのことです。

弘法大師巡錫の地として、次の岩屋寺とともに知られていて、近くを流れる山海川の源流に近い、 岩間に湧き出る水を"弘法さんの水"として近郷の人は崇めてきました。
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第二十五番 第二十六番 第二十七番 
大慈山 岩屋寺 長泉山 龍江寺 管生山 大宝寺
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
霊亀年間(715)、時の帝、天正天皇の勅願により、行基の開創。
七堂伽藍を備えた寺領と子院十二坊、 壮々たる勅願寺であったとのことです

大同三年(808)弘法大師が留錫とあります。
創建は定かではないのだが、元和年中(1615)豊浜の正衆寺の笑山慧門大和尚が、近郷にあった長泉寺と合祀し、龍江寺を再興し、曹洞宗に改宗されたと伝えられているとのことです。 ここ大宝寺は、弘法大師のお告げによって湧き出た霊泉のあるこの地に、  文化六年(1809)半田市小栗万蔵次女好堅尼によって開かれ、四国八十八ヶ所霊場四十四番"大宝寺"の寺号を名乗ったとあります。

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平成22年2月20日 平成22年2月21日 平成22年2月21日
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