慶長年間(1596~1615年)、領主金森長近が美濃和紙の振興を図り、長良川畔に上有知溙を開いた時、水運の安全を図り讃岐より金毘羅大権現の御分霊を迎え、さらに聖観音を合祀して守護仏に崇めたのが近世の金勝院とのことです。
住古から美濃地方の修験者に護持されてきたが、堂宇は再度の火災にみまわれて確かな記録は残されていないそうです。 |
承応元年(1652年)、村人の懇願により観音堂を建立。
本尊に聖徳太子作とする十一面観世音菩薩を安置して智淵山浄水寺と号した。
永昌寺の前身は観音堂の堂守りが住まいする庵であったとのことです。
独翁禅師が当地に留錫して寺院に改修したのが創まりだそうです。 |
寺伝によると、天平年間(729~749年)、諸国行脚の僧・行基が帝の病気を感知し、この地に錫を留めて法華経を書写して納め、自ら刻む十一面観音像を安置して祈願されたとあります。
永録七年(1564年)、織田信長の美濃攻略の戦火に巻き込まれ、古記録類は焼失して縁記の詳細は定かではないそうです。 |