美濃西国三十三観音霊場   第十番~第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
法雲山 廣厳寺 金粟山 大龍寺 大仙山 禅徳寺
聖観世音菩薩 子安観世音菩薩 聖観世音菩薩
藤原頼保の二男・直保と三男・保光が衣笠山に始祖・郡上太郎武蔵権守藤原朝臣鷲見頼保公をまつり、衣笠大権現と命名した。

併せて一宇を建立、歴代祖先を供養したのが広巌寺とのことです。
寺伝によると、持統天皇の御世(690~696年)、鎮護国家を祈念する道場として、古代の東山道の宿駅、美濃の地に建立したのが創まりとのことです。

安元元年(1175年)、後白河法王は里人の安息を願って腹帯子安観音像を安置、もって勅願寺と定められたとあります。
天文年間に大仙祖吟が数十年安居し、その後、寛文八年には龍福寺第四世一秀玄廣和尚を勧請開山して、大仙山禅徳寺とあります。

お盆の準備で忙しいお寺さんが多いですね。
平成24年8月13日 平成24年8月13日 平成24年8月12日
 第十三番 第十四番 第十五番
白華山 甘南美寺 神護山 崇福寺 霊鷲山 法華寺
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
寺伝では、天平年間(729~749年)、僧行基の開山。

本尊には行基作と伝わる十一面千手観世音菩薩を安置とされるそうです。
寺伝では、文明元年(1469年)、美濃守護土岐成頼とその家居・斎藤長弘が創建、悟渓国師門下の独秀乾才が開山とあります。

永録十年(1567年)、織田信長の菩提寺となり、本堂裏には信長と信忠の廟所があります。
寺伝では、弘仁七年(816年)、弘法大師が三田洞の山中において法華経を講座された。

時に嵯峨天皇の勅を蒙わり堂宇を建立、法華寺の号を下賜せられたのが創まりとのことです。
平成24年8月13日 平成24年8月13日 平成24年8月13日
第十六番 第十七番 第十八番 
如意山 願成寺 雄総山 護国之寺 大日山 美江寺
十一面観世音菩薩 十一面千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
弘文元年(672年)、土地の豪族・村国男依が山里に一宇を建立して山間堂と称した。

養老五年(721年)、越智の大徳と呼ばれた奏澄大師が南山の洞に籠って大洞山清水寺と号したのが創まりとのことです。
天平十八年(746年)、聖武天皇の勅願により、七堂伽藍に三十三の堂塔を建立して、本尊の十一面千手観世音菩薩を安置。

その後、戦国乱世に栄枯盛衰を繰り返し、天正八年(1580年)、良啓和尚の代に堂塔伽藍を再建して現在に至るとあります。

境内から岐阜城が遠くにめられます。
養老元年(717年)、元正天皇の勅により、伊賀国名張群伊賀にあった栄光寺の本尊乾漆十一面観音像を本巣郡に移して伽藍を建立、勤繰和尚(空海の師)を迎えて開山とのことです。
平成24年8月13日 平成24年8月13日 平成24年8月13日
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