弘文元年(672年)、土地の豪族・村国男依が山里に一宇を建立して山間堂と称した。
養老五年(721年)、越智の大徳と呼ばれた奏澄大師が南山の洞に籠って大洞山清水寺と号したのが創まりとのことです。 |
天平十八年(746年)、聖武天皇の勅願により、七堂伽藍に三十三の堂塔を建立して、本尊の十一面千手観世音菩薩を安置。
その後、戦国乱世に栄枯盛衰を繰り返し、天正八年(1580年)、良啓和尚の代に堂塔伽藍を再建して現在に至るとあります。
境内から岐阜城が遠くにめられます。 |
養老元年(717年)、元正天皇の勅により、伊賀国名張群伊賀にあった栄光寺の本尊乾漆十一面観音像を本巣郡に移して伽藍を建立、勤繰和尚(空海の師)を迎えて開山とのことです。 |