美濃西国三十三観音霊場   第十九番〜第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
端甲山 乙津寺 椎倉山 弘誓寺 大祥山 宝積寺
十一面千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
天平10年(738年)行基菩薩が十一面千手観音菩薩像を自ら彫られ安置されたのがこの寺の始まり。
弘仁5年には、七堂伽藍、塔頭5ヶ寺、鎮守等が造営されました。
大師は、堂前に散杖の梅にたちまち枝葉が出たので、この寺を梅寺と呼ぶようになりました。
文安二年(1445年)、土岐成頼の願により芦敷村から移築、芦敷村椎倉洞に伽藍があったことから、そのまま椎倉山と号したとあります。 当初は各務原市鶴沼にあった。

寺伝によると、雪谷玄祥禅師が隠居所を建立して止住した庵を元録十四年(1701年)、現地に移して再興したとあります。、
平成24年8月13日 平成24年8月12日 平成24年8月12日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
恵昌山 萬尺寺 神宮山 吉祥禅寺 今宮山 神光寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
「美濃加茂市史」に、正治年間(1199〜1201年)、畠山重忠の創建、もと天台宗であったと記されている。

兵火により全焼し、文明三年(1471年)、城房より小見殿に移り、寛文八年(1668年)、本宗に転宗した。

元禄五年(1692年)、火災に遭い、同七年に本堂を再建した。
歴応元年(1338年)、鎌倉・建長寺の第二十三世・大応国師の法孫・峯翁租一大和尚の開創。

当初は臨済宗建長寺派に属した。

承応元年(1652年)、梅龍寺の広雲大和尚の弟子・善仲禅師が再建。

元録七年(1649年)、梅龍寺第七世・大徹法源大和尚のとき妙心寺派に転じた。
寺伝によると、養老三年(719年)、秦澄大師の創建。

自ら一刀三礼し十一面観世音菩薩を刻んで安置した。

下って前九年の役(1051〜62年)に出陣した源頼朝が戦勝を祈願、のち凱旋して堂塔伽藍を建立したという。

後年、弘法大師が観音経一巻を写し納めて真言密教の道場とした。
平成24年8月12日 平成24年8月12日 平成24年8月12日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
雲黄山 大智寺 白華山 清水寺 龍興山 祐泉寺
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
大智寺は、約800年前に天台宗の寺院として建立されていたが、戦国時代には荒廃し、その地を北野城主であった鷲見美作守保重によって菩提寺として再興されたのが今の大智寺とあります。

徳川時代には、幕府より18石8斗の御朱印を受け葵の紋を許された。

現在も、大智寺の勅使門・仏具などに葵の紋が使われている。
寺宝の「清水寺縁起」によると、大同三年(808年)、坂上田村麻呂将軍の開基。

僧・延鎮が開山して鎮護国家を祈ったと伝う。

延鎮は東国の旅の途中、美濃路に入ると東北にが光輝くのを見て、加茂郡白樺山にたどり着いた。
そこで行叡居士と再開、坂上田村麻呂の外護を蒙り、創建して白樺山清水寺と号した。
寺伝によると、明応十年(1501年)、行雲流水の旅を続ける大道眞源禅師が、一夜を宿場街の辻堂に籠られたとき、霊夢に「木曽川畔に仏師運慶の刻む観音像があり、これを祀れば水難火難の守りとなる」と告げた。

そこで禅師は、霊像を探し求めて村人にその功徳を説き、観音堂を興して安置したのが創まりと伝う。
その一方で、文明六年(1474年)開創という説もある。
平成24年8月12日  平成24年8月12日  平成24年8月12日 
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