大智寺は、約800年前に天台宗の寺院として建立されていたが、戦国時代には荒廃し、その地を北野城主であった鷲見美作守保重によって菩提寺として再興されたのが今の大智寺とあります。
徳川時代には、幕府より18石8斗の御朱印を受け葵の紋を許された。
現在も、大智寺の勅使門・仏具などに葵の紋が使われている。 |
寺宝の「清水寺縁起」によると、大同三年(808年)、坂上田村麻呂将軍の開基。
僧・延鎮が開山して鎮護国家を祈ったと伝う。
延鎮は東国の旅の途中、美濃路に入ると東北にが光輝くのを見て、加茂郡白樺山にたどり着いた。
そこで行叡居士と再開、坂上田村麻呂の外護を蒙り、創建して白樺山清水寺と号した。 |
寺伝によると、明応十年(1501年)、行雲流水の旅を続ける大道眞源禅師が、一夜を宿場街の辻堂に籠られたとき、霊夢に「木曽川畔に仏師運慶の刻む観音像があり、これを祀れば水難火難の守りとなる」と告げた。
そこで禅師は、霊像を探し求めて村人にその功徳を説き、観音堂を興して安置したのが創まりと伝う。
その一方で、文明六年(1474年)開創という説もある。 |