三浦三十三観音霊場  第一番~第九番
 
第一番 第二番 第三番
城谷山 音岸寺 紫陽山 見桃寺 円通山 観音堂
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
本端寺は中興開山が大庵文広、三浦家の菩提であり源頼朝の別荘、桜の御所旧跡と伝わる。鎌倉幕府を開いた源頼朝は、花の咲くころになると鎌倉から来遊し花見を楽しんだ。
現在は無住で、約二㎞離れた本端寺の管理になっている。
想像していた所と違ってちょっとした高台にありました。
駐車スペースが無いので側の有料駐車場に停めて参拝しました。
創建は元和二年(1616年)江戸期水軍の将、向井兵庫頭政綱が興津清見寺の白室玄虎和尚を迎え開山した。
桃の御所旧跡である。聖観世音はもともと三崎町にあった能救寺が札所であったと思われる。昭和に入り見桃寺に合併され祀られるようになった。

一番さんから近いので歩いて行きました。
車3台分の駐車場がありました。
三浦氏最後の族長、義同別名三浦道寸が永正五年(1518年)油壷の新井城で討死したため、奥方が道寸の菩提を弔うため尼となり庵を結んだ。
この時の庵(当時は錬乗院といった)が円通山観音堂と名を改め現在に至り、(大椿寺兼務)ご本尊如意観世音は恵心僧都作で道寸の守り本尊であったと伝えている。

寺前の駐車スペースが一杯だったので表通りのセブンに置かせてもらって参拝です。
平成26年05月03日 平成26年05月03日 平成26年05月03日
 第四番 第五番 第六番
金剛山 大椿寺 立光山 海応寺 福泉寺 観音堂
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
源頼朝の別荘で側室が住んでいた。

頼朝が亡くなってからは妙悟尼となり、別荘を寺にして三十四年間菩提を弔った。

三御所の残り一つの椿の御所旧跡である。
昔は海辺のお堂に安置され、海上の安全を願ってこの土地の人々が守っておられたが、現在では海應寺に移されて祀られ、観音講を中心としていまも広く信仰を集めている。

お寺さんへの道は結構狭いです。

円覚寺百観音霊場の第十四番札所でもあります。
慶長十五年(1610年)、仏光山観円寺として創建。
福泉寺の末寺であった。

山号寺号は、かって松輪の福泉寺の末寺として一山を構えていた頃のもので、現在は境外御堂として福泉寺観音堂と呼ばれている。

駐車場は無いので路駐にて参拝となります。
平成26年05月03日 平成26年05月03日 平成26年05月03日
第七番 第八番 第九番
岩浦山 福寿寺 金田山 清伝寺 菊名山 法昌寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
正治二年(1200年)の創建といわれ、開山は「慶叔大孝禅師」、開基は三浦大介義明の孫に当たる「三浦駿河守義村」と伝わる。

本尊の聖観世音菩薩は「行基菩薩」の作といわれる。

駐車スペースは車1台分ですので注意です。
開山は建武年間(1334~35)に桃源宗悟禅師が建立したに始まるといわれる。

この寺には河童の書いた託証文の話が伝わっている。
縁記によると、「琴音」という海中から清水が湧いている磯があり、そこから観音像が出現し、お堂に安置して潮客寺と名つけたのが始まり。

その後、荒廃していた寺を徳川家居の長谷川長綱が、一機直宗禅師を開山として再興、寺名を法昌寺として改めた。
平成26年05月03日 平成26年05月03日 平成26年05月03日
観音霊場の旅トップに戻る 第十番~第十八番へ