三浦三十三観音霊場  第十番~第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
海東山 三樹院 酔蓮山 称名寺 明星山 伝福寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
寛永六年(1629年)、江戸増上寺の僧「照蓮社遍誉了海上人」によって開創された。
寺伝によれば平安末期に木曽義仲の家臣であった今井四郎兼平の陣屋がこのあたりにあって、その陣屋の古材で寺を建てたのが始まりといわれている。
宝永五年(1709年)、開山の遍誉上人が江戸増上寺より應行上人作の十一面観世音菩薩像を移遷し本尊とした。
古くは真言宗「一水山大塔院」と称し、観音堂とともに千駄ヶ崎にあったと伝えられている。

貞永元年(1232年)、下総国結城稱名寺の開基・転住見真大師(親鸞上人)化導の際、浄土真宗本願寺派として改め、稱名寺と称す。
天文二年(1533年)の創建で、開基は泉蓮社昌誉源順。

観音堂はこの近くの浜にあったが、関東大震災で崩壊したため伝福寺に移された。
平成26年05月03日 平成26年05月03日 平成26年05月03日
 第十三番 第十四番 第十五番
延命山 東福寺 飯盛山 妙音寺 吉井山 真福寺
聖観世音菩薩 不空羂索観世音菩薩 マリア観世音菩薩
江戸時代の初期、西浦賀廻船問屋・淡路屋治兵衛の持船が大しけに遭い、船頭が無事を祈ると船の舳先に観音様が出現し、海は穏やかになり助かったと云う伝説により、当山に聖観世音菩薩が祀られた。
東福寺は天台宗・真言宗の寺であったが、慶長年間(1596~1614年)に一機直宗が曹洞宗に改宗した。
天正年間(1580年代)に中興の祖、賢栄法印により、「昔の寺地、妙音寺原(現在地より北へ2キロの台地)より移し、建設されたもの」とある。

当時は戦国大名の一人である小田原北条氏の雨乞いの祈願所として庇護を受けていた。

関東八十八ヶ所霊場の第58番札所でもあります。
開山は乗蓮社一誉上人。

観音堂は本堂左手の階段を登ったところにあります。

ご本尊はお厨子の中に奉安されており、お前立のマリア観音を拝することができる。観音様(聖母マリア)が子供を抱き坐っておられ戦国時代の作である。
平成26年05月03日 平成26年05月03日 平成26年05月03日
第十六番 第十七番 第十八番 
栄久山 等覚寺 普門山 慈眼院 岩戸山 満願寺
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
ご本尊千手観世音は市指定の文化財で一木造りの立像。
昔、この近くの御滝社に隣接する経塚山に千手院というお寺があり、そこのご本尊であった。

明治の廃仏毀釈で廃寺となったため昭和五年に当覚寺へ移遷された。
開山は顕靜院日進聖人と伝えられている。

ご本尊聖観世音は本堂内の靉厨子の中に泰安されており文化・大正・明治年号が記されたご詠歌の額がある。

本堂は茅山の頂上にあり、結構急な石段を登って行きます。
開基は三浦義明(大介)の末子である義連(佐原十郎義連)、開山は大達明岩正因禅師。
義連はこの地に住し、寿永三(1184年)2月、19才の時、平家迫討の戦に源頼朝に仕え、源義経に従い凱旋して、一の谷合戦では、ひよどり越えの崖を真っ先に駆け降りて活躍した。

本尊の聖観世音菩薩(国重文)は、寄木造り像高224.7㎝の立像。
平成26年05月03日 平成26年05月03日 平成26年05月03日
観音霊場の旅トップに戻る 第十九番~第二十七番へ