第一番 |
鈴立山 若松寺
(若松観音) |
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聖観世音菩薩 |
最上観音霊場は天童市の鈴立山の中腹にある若松寺から始まります。
写真の鳥居からは参道を20分ほど歩くことになりますが車だとお寺さんまで登って行けます。
僧・行基が東国巡錫の途中、この地にたどり着いた折、山の東方で振鈴の音が聞こえ、山上に登ったところ、光輝く三十三観音の御影を拝したことから開山したと伝えられる。
本尊の聖観世音菩薩も行基が和銅元年(708年)、山上の杉で自ら刻んだとあります。
後に弘法大師が一千座の護摩の奉修をし、その灰で腹ごもりの弁財天を作られ、これを安置して奥の院としたとのことです。
納経帳と今回は納札を購入、霊場巡りの始まりです。 |
平成22年7月24日 |
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第二番 |
第三番 |
宝珠山 千手院
(山寺) |
守国山 吉祥院
(千手堂) |
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千手観世音菩薩 |
千手観世音菩薩 |
慈覚大師の開山といわれるそうです。
創建の由来は幾多の火災にあっているため不明。
松尾芭蕉が「閑さや・・・」の名句を詠んだ場所らしいです。
現在のお堂は宝暦二年(1752年)、京都・清水寺の講中の人たちの基金によって再建されたとのことです。
本尊は慈覚大師作とされる木造千手観世音菩薩立像。
お寺さんへは道路から線路を越えて行きます。 |
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天平の頃、この地方に悪性の伝性病が蔓延し、それを重くみた朝廷は防止と救済のため行基を派遣。
行基は祈願道場を開き、三体の仏像を刻み、千手観世音菩薩に病気平癒を祈願した。
その甲斐あって発病者は減衰し、住民の生活に安定をもたらしたと言う。
以来、鎮護国家の道場として広く知れ渡ったとのことです。
特別ご開帳が8月10日に行われるようです。 |
平成22年7月24日 |
平成22年7月24日 |
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第四番 |
第五番 |
大慈山 圓應寺 |
唐松山 護国寺
(唐松観音) |
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聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
ナビに従ったらお寺さんの裏手についてしまいました。
正平年間(1346〜1369年)、山形初代藩主・斯波兼由頼が山形城を建築中、当地に仮住いしたと言われる。
その時、愛用の兜に施された、弘法大師作とされる約七センチの聖観世音菩薩の前飾りを、仮住いに安置して守護仏としたことが創建の由来とされている。
本尊は高さ4.5mの大仏さんの胎内に安置されているそうです。 |
札所別当会発行のガイドマップの住所は別当所のもので観音堂は別の場所にあります。
ご朱印も観音堂の参道入口のお宅で頂きます。
(お寺さんにはありません)
創建の由来は次の2説。
@正歴元年(990年)、近くの平清水に住む武士・森山某の妻が戦死した夫の冥福を祈り開山した。
A平安時代の後半のころ、京都一条殿の豊丸姫が、当地に住む炭焼き藤太と観音様のお告げにより結ばれ、末長い幸せを願って、弘法大師作といわれる京より持参の観音像を洞窟に安置したのが始まり。 |
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平成22年7月24日 |
平成22年7月24日 |
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第六番 |
第七番 |
清水山 耕龍寺
(平清水観音) |
新福山 石行寺
(岩波観音) |
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十一面観世音菩薩 |
十一面観世音菩薩 |
観音堂は山門から200m程奥にあります。
最上に来て気になるのは観音堂の所には鳥居があることです。
こちらも観音堂に向かう途中に鳥居を潜っていきますが何故なんでしょう。
寺伝によると、平安中期、陸奥の安部頼時貞任が前九年の役を起こしたおり、源頼朝が戦って勝ち、その戦勝を京都の清水観音に祈願した。
それが成就し凱旋の途中、京都の音羽の滝に似た平清水に本尊の十一面観世音菩薩の分霊を祀り、最上川を境に東側の三十三ヵ村の守護仏として信仰を広めたとあります。 |
和銅元年(708年)、行基によって開創され、下流の地(現・元木)から発見した霊木で自らが刻んだ十一面観世音菩薩像を本尊として安置したとされる。
後に慈覚大師が伽藍を再建、最上氏時代は寺領四百二十石、瀧山三百坊の元締め寺として栄えたとのことです。
ご朱印は観音堂左手にある石行寺さんで頂きます。 |
平成22年7月24日 |
平成22年7月24日 |
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第八番 |
第九番 |
六椹山 宗福院
(六椹観音) |
金峰山 松尾院
(松尾山観音) |
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聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
山形駅からそう遠くないところにあります。
創建は行基とされている。
貞観二年(860年)に慈覚大師が当地を訪れ、六本のクヌギの木を植栽して(源頼朝がクヌギを植えたとの説もある)現在と未来の二世安楽を祈り入魂したことから「六椹」と命名したとあります。
本尊は行基作といわれる聖観世音菩薩と勢至菩薩の二体。(秘仏)
観音堂の左手に本堂があり千手観世音菩薩が祀られています。 |
観音堂の側まで車で行けますが、せまいので手前のご朱印所の所に停めた方が良いと思います。
創建は和銅元年(708年)、行基が当地を訪れ、大きな松の根元で野宿したとき、カツラの木に弥陀三尊(聖観音、勢至菩薩、無量寿仏)がとどまる夢をみた。
翌日、カツラの木を発見し、三体を作像し祀ったのが始まりと伝えられるとのことです。
名前も行基が松の尾(根元)で感得したことからついたそうです。 |
平成22年7月24日 |
平成22年7月24日 |
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