<観音霊場巡礼>
最上三十三観音霊場
 
 第十二番   長谷山 長光院(長谷堂) 十一面観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  真言宗醍醐派
標高229メートルの小高い山の上にあります。
源頼義が奥州の賊伐に際し、大和の長谷寺の観世音を守護仏として、自分の兜の中に収めてきた。
やがて、賊を討って都に帰ろうとしたある夜、観音の霊夢を感じた。
それは「我れを永く此の地に止めて祀らしめよ」というものであったため、頼義はここにお堂を建て、持ってきた仏像を安置した。
大型・小型とも参道入口別当前、納経所前に駐車
納経所から参道へは川を渡る必要が有りますが、
現在、橋が工事中?で通れないため車で数キロ迂回して川を渡って行く必要があります。
山形県山形市長谷堂23-3 023-688-5901
 第十三番   観音山 常福寺(三河村) 聖観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  曹洞宗
御尊像は、若松と同じ木を使用して、彫刻したものであるという言い伝えから、行基が鈴立山に留まった和同年間のものと考えられる。
約一千二百年前の仏像が一度も開帳されないまま、秘仏として今日まで至っている。 
中型・小型とも駐車スペース有り(但し寺前の道路幅は狭い)
山形県東村山郡山辺町三河尻23 023-665-7716
 
 第十四番   金剛山 正法寺(岡村) 千手観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  真言宗智山派
養老五年七月に創設されたといわれる。本尊は俗に雨乞い観音といわれる。
昔、行基がこの地方を巡ってきたとき、土地の農民は、干ばつのため苦しんでいた。
行基は観音を作ってお祈りしたところ、にわかに大雨となり、田畑は生き返ったようになったという言い伝えがある。
駐車場よりすぐに観音堂がある
納経所
中山町岡108-1 ?023-662-2517(須貝宅)
中山町岡110 ?023-676-4143(石川宅)
山形県東村山郡中山町岡69 023-662-2505(管理:石川宅)
 第十五番   京集山 観音寺(落裳) 十一面観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  曹洞宗
六歌仙の一人である小野小町が開創したといわれる。
観音堂は、もとは現在の場所から東北方、三町余りのところにある寺山にあったが、享和二年、十五代の住職、円通白門大和尚が現在の場所に移した。
 大型は参道入口路上駐車、小型は境内
山形県寒河江市柴橋2494-1  0237-86-4308
 
 第十六番   長岡山 長念寺(長岡) 十一面観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  真言宗智山派
貞観年間、真済僧正という僧が長岡山に観音を安置して、総持寺を開山した。
のちに大江親広が寒河江地方を治めた時、守護仏として観音堂を建てた。 
明治維新の時、総持寺が断絶してしまったので長念寺に総持寺のものを譲り、長岡山にあった観音堂をここに移した。
長念寺についての古い記録は伝わっていないのでわからない。
大型は小松医院前路上駐車、小型は境内
山形県寒河江市丸内2-4-19 0237-86-0016
 
 第十七番   寒江山 長登寺(長登) 十一面観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  真言宗
観音堂は現在地よりも2キロ程入った山頂にあった。
神仏分離令により当時の別当長登は神官になり、御尊像は山からおろして、しばらく土蔵の中に安置。
その後、長流寺からの依頼で明治三十年(1897年)に長流寺に移した。 
明治三十一年(1898)に火災にあい焼けただれた御尊像は桐の箱に納められ、それ以来秘仏として厳封された。
大正十五年(1926)三月に現在の長登山の中腹に再建された。
御尊像は身代わりの前仏として昭和二十七年(1952)に造立されたものである。
大型・小型とも参道入口納経所前に駐車スペース有り
山形県西村山郡西川町睦合乙142 0237-74-3853
 
 第十八番   恵日山 慈眼院(岩木) 聖観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  天台宗
諸国を行脚していた老僧が、この本尊を捧じてこの地を巡り、岩木山腹に仏像を置き去りにして姿を消した。
尊像は、しばらの間に埋もれたまま雨露にさらされていたが、ある日のこと土地の木こりがこれを持ち帰り毎日おまいりをしていた。
彼は嘉慶元年三月、頭を丸めて仏門にはいった。教円坊と名を改め、慈眼院を開き、岩木山腹の浄地を選んでお堂を作り観音像を安置した。 
大型、小型とも納経所前に駐車スペース有り
山形県西村山郡河北町岩木570 0237-72-3191
 
 第十九番   東根山 秀重院(黒鳥) 十一面観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  曹洞宗
723年、大和国長谷寺十一面観音を勧請し、後年その祠を山腹に建てたとも言われる。
また一説には、871年堂の前愛宕神社と共に、郡司伴直道の奉祀とも言い伝えられている。
 大型は参道入口に駐車、中型・小型は山上境内に駐車
山形県東根市本丸南2-10-2 090-2279-9610
 第二十番   青蓮山 清浄院(小松沢) 聖観世音菩薩
   令和4年5月6日(金)  真言宗智山派
 行基が布教のため、この小松沢の里にしばらく足をとどめ、心をこめて三体の仏像を彫刻した。
これを、岩の上にお堂を建てて安置し、熊野三所権現にならって、巌上三所権現と呼ぶようになった。
中型・小型は境内近く(裏参道)に駐車スペース有り。
道はそこそこ狭いので運転には結構気を使います。
山形県村山市小松沢6500
(清浄院/村山市楯岡馬場9-9)
0237-55-6171
 (清浄院/朱印所)
 第二十一番   如金山 喜覚寺(五十沢) 聖観世音菩薩
   令和4年5月7日(土)  浄土真宗
戦国時代になって、当時の領主・金森石見守は戦いに敗れ、五十沢に住みついて郷士となったが、持ってきた観音像を祀ってお勤めしていた。
石見守は、慶長十九年三月、東本願寺十三代門跡、宣如上人に弟子入りし、法名を釈浄信といい、金森山喜覚寺を開山した。
また、金森山の中腹にお堂を建てて観音像を安置した。 
大型・小型とも鳥居の前の道路に駐車
喜覚寺は来た道を戻った所にあります。
山形県尾花沢市五十沢488 0237-22-2582
 第二十二番   祥雲山 龍護寺(延沢) 聖観世音菩薩
   令和4年5月7日(土)  曹洞宗
寛文年間、延沢に住んでいた土屋又三郎という人が、深く観音を信じ、諸国の霊場を巡礼して歩いている途中、近江の国の瓦原寺に泊まった。
又三郎は仏門に入る決心をし、山城の国、宇治の黄蘗山に足をとめ、隠元禅師について頭を丸め、尊像を棒じて故郷の延沢に帰った。
彼は直ちに竜護寺の境内にお堂を建てて、観音像を安置した
大型は参道入口、小型は境内に駐車
山形県尾花沢市延沢竜護寺925-1 0237-28-2331
 
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