武蔵野三十三観音霊場 
 第一番〜第九番
 
第一番 第二番
東高野山 長命寺 豊嶋山 道場寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
西武池袋線、練馬高野台駅から歩いて5分程です。

北条早雲の子、重徹の孫にあたる増島勘解由重明が出家して、慶長十八年(1613年)、当地の草堂に弘法大師像を安置して、連中庵と称したのが始まりと伝えられているとのことです。

専用の納経帳を購入、差し替えが多いので紐で閉じない方が良いですよとのことでした。

武蔵野三十三観音さん巡りの始まりです。
一番さんから歩いて20分ほど、石神井公園駅からだと15分程だと思います。

途中の川辺の桜並木がとてもきれいでした。

奈良時代の天平元年(729年)、行基菩薩が当地に自作の阿弥陀如来を安置したと伝えられる。

建長五年(1253年)、鎌倉の建長寺を開いた大覺禅師蘭渓道隆大和尚を開山に招き、臨済宗の修学道場としたとあります。

お話が好きなご住職と奥様が迎えて下さいます。
平成22年4月3日 平成22年4月3日
第三番  第四番
亀頂山 三寳寺 光明山 如意輪寺
如意輪観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
二番さんから歩いてすぐです。

応永元年(1394年)、鎌倉大楽寺の幸尊法印が石神井郡小仲町に、真言密教の道場を開いたのが始まりと伝えられる。

将軍徳川家光が鷹狩りの際に休息所としたことがあるそうです。

観音堂は本堂の左手を少し行った所にあります。
観音堂は新築らしいです。

観音様は聖徳太子作とされています。
ひばりヶ丘駅から歩いて20分程です。
道を間違えたので25分程かかりました。

明治二十五年の火災によって本堂や庫裡などとともに古記録も焼失したため、創建年代などは不明とのことです。

写真は観音堂です。
本堂の右手にあります。

観音さまは奥の方におられますが暗いので良く見えませんでした。
平成22年4月3日 平成22年4月3日
第五番 第六番
寶塔山 多聞寺 安松山 全龍寺
十一面観世音菩薩 一葉観世音菩薩
東久留米駅から歩いて10分程です。
四番さんからも歩けますがたぶん30分位はかかると思います。

元仁年間(1224〜25年)、天満宮を祀って梅本坊と称したのが始まりとされる。

貞和五年(1349年)、祐観法印が毘沙門天を安置して寶塔山吉祥院多聞寺の開山となったとのことです。
清瀬駅から15分程の歩きです。

慶長元年(1596年)、当地に住んでいた並木主水安松の開祖、安松山と号した。

東久留米市・淨牧院の九世玉室應珍大和尚を迎えて開山とあります。

札所の観音様は一葉観音様で三十三観音の一つです。
右膝を立てる輪王座という坐像で、一枚の蓮の葉の上に座しています。
平成22年4月3日 平成22年4月3日
第七番 第八番 第九番
福寿山 徳蔵寺 愛宕山 圓乘院 野老山 實蔵院
白衣観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 聖観世音菩薩
東村山駅から20分程でしょうか。
かなり疲れて来ていて25分程かかりました。

壁英宗趙の開山、元和年間(1615〜23年)の建立とのことです。

新しい山門は工事中、右手の細い道から入ります。
バスで団体さんが来ていてご住職の法話の最中でしたので小さな声で般若心経を唱えました。
武蔵大和駅から10分弱の歩きです。

途中に狭山三十三観音霊場の十五番札所である清水観音堂がありました。

平治元年(1159年)に寂した賢誉法印が開山したとされているそうです。

右手側は何かの工事中でした。
西所沢駅から歩いて10分程です。
こちら以降は埼玉県になります。

宝暦三年(1753年)と文正七年(1824年)の二度の大火により焼失したため寺歴の詳細は不明とのことです。

元は正福寺と呼ばれ、成木村の安楽寺の末寺で宥円が開山、宝暦年間(1751〜64年)慧海阿闍梨によって中興開山と伝えられています。
平成22年4月3日 平成22年4月10日 平成22年4月3日
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