武蔵野三十三観音霊場   
第十番~第十八番
 
第十番 第十一番
遊石山 新光寺 上洗山 普門院
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
九番さんからすぐです、5分もかかりません。

慶安二年(1649年)、観音堂領として幕府から六石の朱印を受けているそうです。
ちょっと変わった山門があります。

写真が本堂で行基菩薩作の聖観音が安置されています。
ちなみみ左手に少し見えるのが観音堂です。

境内の桜が満開でとても綺麗でした。
西所沢駅から10分程の歩きになります。

もとは無量寺と呼ばれていたそうです。

天正年間(1573~73年)、重誉が中興、寛文年間(1661~73年)、現在地に移転したとあります。
平成22年4月3日 平成22年4月10日
第十二番  第十三番
梅林山  全徳寺 吾庵山  金乗院
(山口観音)
普悲観世音菩薩 千手観世音菩薩
十一番さんから歩きました。
30分位はかかったと思います。

西武球場前駅からだと20分強位だと思います。

永録年間(1558~70年)の開創と伝えられる。

西多摩郡平井の宝光寺二正願山明鑑大和尚が当地周辺にあった数ヵ寺の無住の寺院を統合して全徳寺と号したとのことです。

こちらの観音様は普悲観音と言い三十三観音の一つで珍しい観音様です。
西武球場前駅から歩いて5分程です。
狭山不動尊の前を通って行きます。

行基菩薩が当地に巡鍚したとき、光り輝く木に千手観音を感得、その姿を霊木に刻んで安置したとあります。

本堂は宝暦年間(1751~64年)の建立、本堂の裏側には裏観音が安置されています。

こちらは狭山三十三観音霊場の一番札所でもあります。
平成22年4月10日 平成22年4月10日
第十四番 第十五番
光輪山  妙善院 吟龍山  松林寺
白衣観世音菩薩 千手観世音菩薩
十二番さんから20分程の歩きです。
狭山ヶ丘駅からでも同じ位だと思います。

北条氏に仕えた佐和次郎右衛門吉縄が、梅岩寺開山の呑む碵和尚を迎えて、天正年間(1573~92年)に開創。
 
天明八年(1788年)、十三番の山口観音・金乗院の亮盛和尚と当寺を中興した卍泉和尚が山口観音を第一番、妙善院を第三十三番とする狭山三十三観音霊場を開創したとあります。

ご朱印を頂く時、「武蔵野ですか?」と聞かれたのはそのためだったようです。
十四番さんから25分位かかったと思います。
狭山ヶ丘駅からは30分程です。

山門前の桜がとてもきれいでした。

山門を潜ると両脇に仁王像がいます。

承応二年(1653年)、吟国寒龍大和尚により開山とあります。

観音様は本堂内の左手に安置されています。
平成22年4月10日 平成22年4月10日 
第十六番
妙智山  慈眼寺
聖観世音菩薩
狭山市駅から10分弱の歩きです。

正長元年(1428年)、阿弥陀堂として建立されたのが始まりと伝えられています。
曹洞宗としての開山は大永年間(1521~28年)、入間市金子の端泉院三世一柵存松和尚による。

山門は工事中でしたので脇から入りました。

本日は13時から記念法要・講演が行われるらしく、準備の真最中でした。  
 
平成22年4月10日
第十七番 第十八番 
福聚山  徳林寺 世音山  蓮花院
(黒須観音)
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
十六番さんから5分程、狭山市駅からでも5分程です。

元弘三年(1333年)、新田義貞が鎌倉攻めの際、本陣を置き、聖観音を安置した。
地頭の小沢主税が開基となりこの尊像を本尊として徳林寺を創立したとあります。

曹洞宗に改宗されたのは天文元年(1532年)、開山は十六番さんと同じ一柵存松大和尚。

観音堂は本堂から少し離れたところにあります。
観音堂の隣りには不動堂があります。
三日目はこちらから始まりです。
入間市駅から10分程の歩きです。

弘仁年間(810~24年)、弘法大師が湯殿山におもむく途中、当地で通夜して一寺を建立したと伝えられる。

札所本尊の千手観音は、養老年間(717~24年)に行基菩薩が感得したとされるそうです。

写真をクリックすると観音様が見れます。 
平成22年4月10日 平成22年5月15日
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