武蔵野三十三観音霊場   第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
法栄山  東光寺 龍岳山  龍圓寺
(新久観音)
諏訪山  高正寺
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩 聖観世音菩薩
十八番さんから歩きました。
3km位でしょうか、40分程の歩きです。

仏子駅からだと10分位だと思います。

永正十六年(1519年)に寂した印融大和尚が中興開山と伝えられる。
それ以前の詳細は不明とのことです。

古くは、南に300mほど離れた上の台と呼ばれるところにあったそうです。
十九番さんから5分程です。

写真は観音堂で、本堂の左手にあります。

建仁元年(1201年)六月、東国を巡錫していた寂蓮法師が堂宇を建立。
宝永六年(1709年)に寂した俊誉和尚が中興とあります。

観音様は行基菩薩の作ともいわれ、安産子育ての観音として古くから信仰されているそうです。
二十番さんから20分程の歩きです。
仏子駅からだと10分はかからないと思います。

金子余市近範が建保年間(1213~18年)、高正寺を建立。

当初は真言宗寺院だったが、大永年間(1521~28年)に菊陰瑞澤和尚が中興して、曹洞宗に改宗されたそうです。
平成22年5月15日 平成22年5月15日 平成22年5月15日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
光明山  圓照寺
(元加治弁財天)
寂光山  浄心寺
(矢颪毘沙門天)
般若山  観音寺
如意輪観世音菩 十一面観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
二十一番さんから15分弱の歩きです。
元加治駅からは2,3分です。

平安時代に弘法大師が巡錫した時、龍燈桜の奇瑞を感じて霊泉を加持して堂宇を建立したという。

鎌倉時代になって武蔵七党の丹党に属する加治氏の菩提寺として、円照上人が弁財天を勧請し、諸堂を整備したとあります。
元加治駅から飯能駅まで電車で移動、飯能駅から15分弱の歩きです。

写真は観音堂で本堂の左手の石段を登った左手にあります。
登った右手には毘沙門堂があります。

明応~文亀年間(1492~1504年)の創建、聚栄常和尚の開山と伝えられる。

後、慶長十二年(1607年)、に再興とあります。
二十三番さんから20分程の歩きです。
飯能駅からだと10分程だと思います。

享保二十年(1735年)に入寂した長誉の中興開山。
弘法大師が如意輪観音を刻み、草堂に安置。その後、この尊像は体内仏として現在の本尊に納まっているとのことです。

写真をクリックすると観音様が見れます。
平成22年5月15日 平成22年5月15日 平成22年5月15日
第二十五番 番外 
梅松山  圓泉寺 箕輪山  靈巖寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
二十四番さんから歩きます。
1時間位かかりました、4km程はあると思います。
東飯能駅からでも2km以上はありそうです。

天長年間(824~833年)、奥州に向かう途中の弘法大師がこの地に留錫した。
周辺の風光明美なことに感じ入り、唐より伝来した十一面観音の金銅仏を安置、一本の梅の木が芳香を漂わせていたので、梅松山園泉寺と号したとあります。

写真にも写っていますが弘法大師像がたっています。
二十五番さんから歩きました。
約6km、1時間20分の歩きとなりました。

JR八高線・高麗川駅からだと25分程だそうです。

寺院が建立されたのは千有余年の昔、榛名山の満行上人が自ら描いた地蔵尊のを祀ったのが始まりとされるそうです。
平成22年5月15日 平成22年5月15日
第二十六番 第二十七番 
高麗山  聖天院 栗原山  勝音寺
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
番外・霊巌寺さんから25分程かかりました。
途中、高麗神社の前を通って行きます。

朝鮮半島に栄えた高麗(高句麗)は唐に攻められ滅亡、難を避けて渡来した王族や遺臣たちは関東各地に居住していたが、霊亀二年(716年)当地に集められた。

最初に郡の長を命じられたのが、高麗王の姓をたまわった高麗王若光。

この高麗王の菩提を弔うため、王の持念僧だった勝楽が守護仏の歓喜天を本尊として、天平勝宝三年(751年)に創建したとあります。

写真の観音堂の右手の石段を登ると大きな本堂があります。
二十六番さんから10分程で着きます。

応永三年(1396年)、鎌倉建長寺の七十二世仏印大光禅師によって創建。
当初の本尊は阿弥陀如来だったそうです。

三日目はここまでとなりました。

ここからJR八高線・高麗川駅まで30分ほど歩いての帰宅となりました。
西武線・高麗駅までだと20分位みたいです。
平成22年5月15日 平成22年5月15日
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