置賜三十三観音霊場   第十九番〜第二十七番
 
第十九番
長命山 幸徳院
(笹野観音)
千手観世音菩薩
米沢市南部、笹野山の麓にあります。

駐車場から行くと山門を通らないので一旦出て山門をくぐりました。

昔、坂上田村麻呂が観音菩薩を安置、山の中腹に観音堂があったと伝えられる。

大同元年(806年)、現在地に建立、弘仁元年(810年)に落成し、会津の高僧徳一上人を開山第一世として入仏供養が行われたそうです。

伊達政宗が元服の折に祈願し、上杉歴代藩主が毎月祈願されていたみたいです。

現在のお堂は、天保十四年(1843年)、上杉家十三代斉憲公が再建したとあります。

こちらの観音堂は札所会発行の巡礼マップの表紙になっています。
大きく、立派なお堂です。
平成22年7月28日
第二十番
十王院
(仏坂観音)
馬頭観世音菩薩
二日目はこちらからです。

車は入口辺りの道路に駐車スペースがありますので、そこに停めて行きます。

観音堂は度重なる火災で縁記書を焼失し創建の歴史は明らかではない。

僅かに残された資料から、寛文五年(1665年)と亭和元年(1801年)に再建されていることがわかるそうです。

そのお堂も豪雪で崩壊、壊れた古材を利用して昭和四十二年に再建されている。

観音堂には納経所の案内(写真)がありますが、そもそも観音堂の場所が分からないと思いますので、納経所に先に行ってからお参りした方が良いと思います。

??袋(なんでしたっけ)とストラップが頂けます。
平成22年7月27日
第二十一番  第二十二番
小町山 宝珠寺
(小野川観音)
真言院
(広野観音)
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
宝珠寺の創建は弘化二年(1845年)、福縁授与の霊場として知られる甲子大黒天本山の別当寺である。

現在のお堂は昭和五十九年に建立されたものだそうです。

堂内の祀られている大黒天像は、大同年間(806〜810年)に弘法大師が湯殿山を開く際に、天空に現れた大日如来のお告げで作像したと伝えられている。

本堂は工事中でした、こちらのメインは大黒さんみたいです。
観音堂の建立は宝永二年(1705年)、寛永五年(1628年)に開村された広野村の信仰の中心として建立したと伝えられる。

本尊の聖観世音菩薩立像は、米沢の法音寺から寄進されたもの。

そう言えば入口に立っている札番の書いてある石柱には置賜では無く、「富國三十三所」と書いてありますね。(他の札所も同じでした)
もとは霊場名が違ったのでしょうか。

ご朱印は観音堂から見ると、道路を渡って左側2建目のお宅(新野氏)です。
(玄関に置いてありますので自分で押します)
平成22年7月28日 平成22年7月27日
第二十三番 第二十四番
和江山 桃源院
(川井観音)
蓮華山 普門寺
(桑山観音)
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
観音堂は明和五年(1768年)に建立、弘化二年(1845年)の再建。

本尊は羽黒本地聖観世音菩薩像、伝説によれば、その昔、百姓がある朝川底に光るものを見た。
その夜、夢枕に仏が現われてお告げを受け、その木を川から探し出して、三体の仏像を作り、根元で作った仏像を羽黒神社に納めたと伝えられる。

その後、明治初期の神仏分離によって当寺に安置されることになったと言う。

二十四番さんで大雨に遭い、小雨になるのを待ってお参りしました。
この地に疫病が蔓延したとき、大きな桑の根元で寝ていた老人が夢枕にお告げを受けて観音堂を建立したとされ、「桑山」と言う地名もこの伝説に由来してるとのことです。

普門寺の創建は永正十年(1513年)、京都から訪れた僧・鏡運坊によるとされ、もとは修験道であったそうです。

お堂は寛保二年(1742年)に再建されたもの。

近くに新しい本堂(写真右)があり、ご朱印もこちらで頂きます。

この後、物凄いスコールとなりました。
平成22年7月28日 平成22年7月28日
第二十五番 第二十六番
羽黒山 龍性院
(赤芝観音)
恵日山 西明寺
(遠山観音)
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
伝説によると、昔きこりがお堂の周りの木を切ると血が流れ出したため、木の根を弔って仏を彫り安置したとされるそうです。

現在の本尊はその後に作られたもの。

本尊は青銅の聖観世音菩薩像、切り株に腰をおろし、巻物を手にした優雅なお姿をしています。

二十一番さんの次に訪れました。
近いです。
寺名は北条時頼の法名「最明寺」に由来するとされ、観音堂前には直江兼継の詩石が立っています。

もとは越後にあったが、上杉家移封に伴い慶長六年(1601年)米沢に移ったそうです。

本尊は木造りの十一面観世音菩薩坐像、天正十八年(1588年)、康佑と言う仏師の作とされる。

道路沿いには写真の奇麗な案内板が立っています。
平成22年7月28日 平成22年7月28日
第二十七番 
朝日山 相応院
(高岡観音)
十一面観世音菩薩
こちらも道路沿いに写真の案内板が立っています。

もともと置賜三十三観音の第二十七番札所は南陽市宮内の「池黒村の三堀寺」であったと言われる。

明治維新の神仏分離令に伴って、代々堂守を務めている安部家が地区民の協力を得て霊場番号を譲り受けたと伝えられる。

観音堂は写真中央の参道入口から5分ほど登った所です。
ご朱印は入口左手の安部氏宅で頂きます。
平成22年7月27日
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