<観音霊場巡礼>
近江西国三十三観音霊場
 
 第十二番   伊富貴山 観音寺  十一面千手観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  天台宗
仁寿年間(851年 - 854年)、三修によって創建された。もとは伊吹山四大護国寺として法相宗に属していたが、弘和(永徳)3年(1383年)に天台宗に改めた。

長浜城主の羽柴秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の小僧をしていた石田三成を「三碗の才」で見出したことで有名。
滋賀県米原市朝日1342 0749-55-1340
 第十三番   普門山 松尾寺 十一面観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  天台宗
創建年代については不詳。

天武天皇9年(680年)に役行者が修行し、平安時代の元慶年間(887-885年)、松尾童子が寺を復興したと伝えられる。

当初は法相宗に属する寺院であったが、その後天台宗に改宗された。
滋賀県米原市上丹生2054 0749-54-0120
 第十四番   金亀山 北野寺  聖観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  真言宗豊山派
養老四年(720)元正天皇の勅により、藤原鎌足の孫・藤原房前が堂宇を建立して聖観音菩薩を安置したのが始まりと言われています。
滋賀県彦根市馬場1丁目3-7 0749-22-5630
 第十五番   松峰山 金剛輪寺 聖観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  天台宗
寺伝によれば聖武天皇の勅願で奈良時代の僧・行基の開創とされ、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝える。

西明寺、百済寺(ひゃくさいじ)とともに湖東三山の1つに数えられる。
滋賀県愛知郡秦荘町松尾寺874 0749-37-3211
 
 第十六番   釈迦山 百済寺 十一面観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  天台宗
推古十四年(606)に聖徳太子の勅願により創建された近江最古の寺院です。

焼き討ちの被害に遭いながらも、奈良時代の十一面観音菩薩立像を伝えています。
滋賀県東近江市百済寺323 0749-46-1036
 
 第十七番   豊国山 大覚寺 十一面観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  天台宗
奈良時代前期に行基によって開創されたと伝えられている。

1573年織田信長の兵火により焼失したと言われているが、仏像などは村人により運び出され、近隣の寺院に匿われ現在も残っている。
滋賀県東近江市大覚寺町709 0749-46-0309
 
 第十八番   石崎山 瓦屋寺 千手観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  臨済宗妙心寺派
推古天皇(592-628)の頃、聖徳太子が大阪四天王寺の創建にあたって、この地で良質の瓦土を見つけ、屋根瓦が焼かれました。

その瓦窯跡に建てられた一宇が、当寺の開基とされています。
滋賀県東近江市瓦屋寺436 0748-22-1065
 
 第十九番   繖山 観音正寺  千手千眼十一面観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  単立
西国三十三所第32番札所。

伝承によれば、推古天皇13年(605年)に聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるというが、その話は二通りある。
滋賀県安土町石寺2 0748-46-2549
 第二十番   繖山 善勝寺 十一面観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  曹洞宗
寺伝によれば、聖徳太子創建の霊場で、良正上人[注 1]の開基とされ、石窟の中に弥勒の霊像を得て、太子彫刻の観音とともに両本尊とし、釈善寺と号したのが始まりという。
滋賀県東近江市佐野町909 0748-42-5121
 第二十一番   姨碕耶山 長命寺 千手十一面聖観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  単立
西国三十三所第31番札所。

寺伝によれば、第12第景行天皇の時代に、忠臣として知られる武内宿禰(たけのうちのすくね)が、この地で柳の巨木に「寿命長遠諸願成就」と記し、長寿を祈願しました。

このため宿禰は、300年以上の長命を保ち、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇と、神功皇后に仕えたといわれています。
滋賀県近江八幡市長命寺町157 0748-33-0031
 第二十二番   阿育王山 石塔寺 聖観世音菩薩
   令和7年05月13日(火)  天台宗
伝承によれば、聖徳太子は近江に48か寺を建立し、石塔寺は48番目の満願の寺院で、本願成就寺と称したという。
滋賀県東近江市石塔町860 0748-55-0213
 
 トップページに戻る 次の霊場へ