「新編武蔵風土記稿」によると、山城国の醍醐・地蔵院の直末に属していたとある。
文明ニ年(1470年)、栄鑁法印の中興開山。
ご住職が境内におられたのでご朱印をお願いしてお参りをしました。
山門左手には青石塔婆という者があります。
鎌倉時代のもので加賀市指定有形文化財です。 |
千手観世音菩薩像は座像で、大仏師・運慶の作と伝えられている。
下野の国司・小山朝政九世の孫。小山判管義政の守り本尊で、義政院の院号は、義政公百日の願が成熟した結果付与されたものだという。
管理は金乗院さんですがご朱印は出していないそうです。
金乗院さんは関東八十八ヵ所霊場の第八十二番札所です。 |
「寺院明細表」によれば、宝幢和尚が興教大師作の不動明王を持仏にして一宇を建て宝幢庵と称すという。
その後、長寿和尚が宝幢寺と改め、宥盛和尚の代に寺格を得るという。
長寿は宝永七年(1710年)、宥盛は安永九年(1780年)没。
万福寺さん管理ですがご朱印は出していないそうです。 |