忍領三十三観音霊場   第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
久林山 永昌寺 袋田山 吉祥院 観音寺
聖観世音菩薩 馬頭観世音菩薩 正観世音菩薩
草創は室町中期といわれている。

白岡村・興禅寺の末寺で開山はニ世の僧・楚清。

駐車場は山門の中、道幅が狭いのでちょっと躊躇、手前で停めて中に停められることを確認してからそろりそろりと入りました。
「新編武蔵風土記稿」によると、山城国・醍醐報恩院の末寺、開山は弘銭、開基は古菖浦の城主・佐々木源四朗とある。

新しい観音堂と薬師堂が建っています。

山門を入ると左手には立派な不動堂、右手には弁財天が祀られています。

観音堂は山門の手前、左手です。
廃寺となり吉祥院さん管理、ご朱印も吉祥院さんです。

ガラスを通して観音様がいるのが見えるのですが、ガラスが汚れていて良く見えませんでした。
平成24年11月03日 平成24年11月04日 平成24年11月04日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
救世山 観音院 住吉山 吉祥寺 牛王山 玄光寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
正能の龍花院の末寺、清和天皇の末裔である頼則入道照宥法印が、天正年間(1573~93年)に小田原城よりこの地に来て、一宇を建立したことにはじまるという。

第ニ世・通仙法印が慶長年間(1596~1615年)に観音堂を造営した。

「新編武蔵風土記稿」によると、聖観音は聖徳太子の作という。

ご朱印は関東八十八ヵ所霊場の第七十九番札所の雨賽寺さんです。
正能の龍花院の末寺、創建は不明。

中興開山は権大僧都・栄雄。

現在の本堂は昭和十ニ年(1937年)に再建されたもの。

ご住職は出かけられていて不在、出直しますか。
「新編武蔵風土記稿」によると、南篠崎の普門寺の末寺とあるが、創建、開基、開山は不明。

本堂左手の観音堂は平成十ニ年の建立。

以前の観音堂は自然に倒れ、しばらくは本堂に祀られていたそうです。

普段見えるのは前立ちの観音様ですが、お堂を開けて頂き厨子に納められた本尊を拝見させて頂きました。
平成24年11月04日 平成24年11月04日 平成24年11月04日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
星光山 普門寺 如意山 圓満寺 稲荷山 愛染院 寶幢寺
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 不動明王
「新編武蔵風土記稿」によると、山城国の醍醐・地蔵院の直末に属していたとある。

文明ニ年(1470年)、栄鑁法印の中興開山。

ご住職が境内におられたのでご朱印をお願いしてお参りをしました。

山門左手には青石塔婆という者があります。
鎌倉時代のもので加賀市指定有形文化財です。
千手観世音菩薩像は座像で、大仏師・運慶の作と伝えられている。

下野の国司・小山朝政九世の孫。小山判管義政の守り本尊で、義政院の院号は、義政公百日の願が成熟した結果付与されたものだという。

管理は金乗院さんですがご朱印は出していないそうです。
金乗院さんは関東八十八ヵ所霊場の第八十二番札所です。
「寺院明細表」によれば、宝幢和尚が興教大師作の不動明王を持仏にして一宇を建て宝幢庵と称すという。

その後、長寿和尚が宝幢寺と改め、宥盛和尚の代に寺格を得るという。

長寿は宝永七年(1710年)、宥盛は安永九年(1780年)没。

万福寺さん管理ですがご朱印は出していないそうです。
平成24年11月04日 平成24年11月04日 平成24年11月10日
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