忍三十四観音霊場  第十番〜第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
光明山 観音寺
(水越観音)
大慈山 薬師院 観音寺 福寿山 利永寺
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
「新編武蔵風土記稿」によると、開山は了空。

中条川北にあるので「川北観音」とも呼ばれる。

ご朱印所の実相院のご住職によると、昔は川の近くにあったが氾濫で良く流されたので今の所に移ったそうです。

ご住職は1年ほど前にこられたそうで、観音巡礼をされていて西国の先達だそうです。

忍の札所については良く分からないとのことで、話がはずんで1時間程過ごしてしまい、本日は打ち止めとなりました。
「新編武蔵風土記稿」によると、埼玉郡羽生村・正覚院の末寺。

開祖は慶長十三年(1608年)、法印・重学と言われてる。

今は全く人の手が入っていないのでしょう、お堂はかなり朽ち果てた感じになっています。

ご朱印は一乗院さんです。
十一番さんから数百mの所にあります。

が。。。見つけるのに苦労する方も多いと思います。

と言うのもお堂は鉄工所の敷地内と言うよりほとんど建屋の中にあります。

良くこのお堂を残して建屋を建てているなって感じの場所です。
扁額には「xx六番 利永寺」の文字が見えました。

ご朱印は一乗院さんです。
平成24年09月15日 平成24年09月22日 平成24年09月22日
 第十三番 第十四番 第十五番
萬頂山 集福寺 福寿山 慈眼寺 宝積山 大龍寺
釈迦三尊 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
永仁年間(1293〜98年)に、臨済禅の法燈派・円明国師によって開かれたと伝えられている。
その後、永正年間(1504〜20年)に、桂室秀宝禅師によって曹洞宗に改められ中興開山としている。

十ニ番さんとすごいギャップを感じる立派なお寺さんです。
曹洞宗の大きなお寺に見られる回廊で繋がった伽藍、禅宗なので派手さはありませんが趣きのあるお寺さんです。

ご朱印は「新四国第一番」の印が、禅宗なのに?
「新編武蔵風土記稿」によると、以前は弥藤吾村・観清寺の末寺で観音の堂だったが、寛永年間の1640年頃、僧・月堂が開山して一寺とした。

本堂右手の庫裡に奥さんらしき人が、ご朱印をお願いすると「聴いてみますからちょっと待って下さい」と。

奥から電話の声が聞こえてきます。
「ご朱印ですってどうします、来ます?」と。
しばらくして出てきて「今、住職がいないので」と取って付けたような返事。
何か再チャレンジする気力が失せた瞬間でした。
「新編武蔵風土記稿」によると、上野国邑楽郡館林町の善導寺の末寺、開山は幡随意上人とある。

開基は成田家家居・田島妥女正。

お彼岸なのでお墓参りの人が多いですね。

新四国第ニ十一番札所だそうです、浄土宗なのに?
平成24年09月22日 平成24年09月22日 平成24年09月22日
第十六番 第十七番 第十八番 
宝珠山 玉洞院 福源山 長井寺 大悲山 観音寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
 「新編武蔵風土記稿」によると、上野国那波郡芝宿・泉済寺の末寺で、開山は臨済宗中峰派の養厳宗胡。

ご住職は明るい方でした。

こちらは臨済宗円覚寺派、そういえば円覚寺百観音も巡ってみたいですね。

観音堂は如意輪観音みたいです。
「新編武蔵風土記稿」によると、上野国那波郡矢場村・泉福寺の末寺。

ご朱印は宝積寺さんから頂いた資料によると八ツ口の長昌寺さんになっていますが、伺った所今は22番の安楽寺さんが管理されているとのことでした。

「書いても良いけど、余りよろしくないと思うので安楽寺さんでもらって下さい」とのことで。。。そのように。。。
「新編武蔵風土記稿」によると、太田村・能護寺の末寺、開山は証海とある。

納経帖には千手観音となっていますが、間違いで十一面観音だそうです。
本尊は聖観世音菩薩、十一面観音は護摩堂に祀られています。
宗派も「真言宗高野山派」と書かれており最初はへそを曲げていたのでしょうか、「ご朱印は書かない」と言いつつ納経帖を受け取って書いてくれました。
宝印が見つからないとかで梵字は手書きです。
平成24年09月22日 平成24年09月22日 平成24年09月22日
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