忍三十四観音霊場   第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
大悲山 慈眼院 観音寺 増田山 長福寺 観音堂 湯殿山 清滝寺
廃寺
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
「新編武蔵風土記稿」によると、京都・智積院の末寺、開山は憲盛とある。

本尊の聖観世音菩薩は雲慶の作と伝えられる。

奥さんに招かれて本堂で檀家さんと談笑を。
西国、坂東、秩父、その他結構霊場巡りをされているそうです。

ご住職によると、来年本堂を建て替えするそうです、既に柱は購入済みで消費税が上がる前にやらないと馬鹿にならないからとおっしゃってました。
影響はこんな所にもと思った次第でした。
下増田村・観音寺の末寺。

お堂の近くの新井様が個人で管理しているお堂みたいです。
結構綺麗に整備されています。

寺暦は詳しくはお聞きしませんでしたが、上杉家がこの地に土着し開拓してきた土地で、観音堂も古くからあったとのこと。

忍の札所でもあり出来る限りのことはして行くつもりとおっしゃていました。
寺跡も縁記も不明。
平成24年09月22日 平成24年09月22日  
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
吉祥山 安楽寺 福寿山 香林寺 開敷山 妙音寺
九品仏 聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
「新編武蔵風土記稿」によると、禅宗臨済派、上野国那波郡紫宿・泉竜寺の末寺、開山は繁室玄茂和尚。

九品仏とは念仏行者の信仰の深さなどによって、往生に九品往生、極楽に九品浄土あり、と九つの階級に分け、九品の印が考えられた。
この印を結ぶ阿弥陀如来九体をいう。

と言うことは私の浅知恵では「念仏行者」といえば浄土宗。。。ここは臨済宗。。。忍の札所は私にとっては不思議が一杯。
香林寺から100m程東にあった勝楽寺が元の札所。

香林寺には勝楽寺から移された観音像やその他の仏像、ご詠歌を書いた奉額がある。

本尊は釈迦如来、ご朱印も「うちは観音様じゃないけど」と、私は「はい、分かりました」としか言えない。。。

お彼岸でお線香とお供えをもった参拝者がひっきりなしに来ていました。
「新編武蔵風土記稿」によると、横見郡御所村・息障院の末寺、開山は頼尊とある。

本尊は大日如来、観音像は昔の本尊で行基作といわれている。

ご朱印は33番の吉祥寺さん。

こちらは参拝者は少ないみたいです。
平成24年09月22日 平成24年09月22日 平成24年09月22日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
摩尼山 長慶寺 慈眼山 観音寺 青野山 大正寺
如意輪観世音菩薩 十一面観世音菩薩 馬頭観世音菩薩
徳川氏入国後、長慶という僧が今の宗旨に改め、長慶寺と称し、本堂左手の奈良神社の別当となったと伝えられている。

それ以前の記録は無いそうです。

車は表からは入れないので裏から入ります。
「新編武蔵風土記稿」によると、上ノ村・一乗院の末寺、中興開山は尊海。

廃寺となっており、墓地には集会所が建っています。

中興開山の尊海の墓碑があったので写真を載せておきました。
「新編武蔵風土記稿」によると、大和国初瀬・小池坊の末寺、中興は僧・頼秀。

門を入ると正面が観音堂、右手に本堂があります。

ご住職が東京で葬儀があって不在とのことで、ご朱印用紙を奥さんに預けて後日取りに伺うことにしました。
平成24年10月06日 平成24年10月06日 平成24年10月06日
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