奥州三十三観音霊場   第一番~第九番
 
第一番 第二番 第三番
那智山 紹楽寺 天苗山 秀麓齋 桑島山 金剛寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
開山は飛鳥時代、応永ニ年(1413年)、山形市半郷安養寺三世融真和尚が曹洞宗に改め開創した。

観音堂は山の上にあって近い方の道は通行止めになっていました。

本堂に分霊があるのでここで済ませる人もいるそうですがせっかくなので行ってみることにしました。

熊野那智神社の側とのことでしたのでナビに任せて行きました。
延暦十七年(798年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるに当り、戦勝と天下太平を祈願するため西国・清水寺から観世音をこの地に勧請したことに始まるとされる。

「斎」の名は伊達正宗の書斎でもあったために名付けられたようだとのこと。

東日本大震災によって亡くなられた方々のみ魂を慰め見守って頂くための「3・11観音」が奉安されています。
別名「川上観音堂」とも称し、往時の別当寺は金剛寺で観音堂から南西500m先にあるが無住で別当は金剛寺の本寺である新宮寺が務めている。

ご朱印も新宮寺で頂きます。

小さな観音堂ですが綺麗に整備されていました、
又堂前の桜も満開でお爺さんが日向ぼっこをされていました。
平成24年04月29日 平成24年04月29日 平成24年04月29日
 第四番 第五番 第六番
安狐山 斗蔵寺 名取千手観音堂 青龍山 瑞巌寺 三聖堂
千手観世音菩薩 千手観世音菩薩 聖観世音菩薩
大同ニ年年(807年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が奥州平定に赴いた際、観音堂を建立して千手千眼観世音菩薩を安置したのが始まりとされている。

表参道からは約500m程の登り道を行きます。

裏参道を使えばお寺さんまで行けるみたいですがたまには運動を。。。と思う人は登ってみて下さい。

又、観音堂の奥には白山神社が祀られています。
観音堂は現在佐藤氏宅の庭先にありますが由来などは一切不明だそうです。

ガイドブックにもほとんど記載されていません。

何方か詳しい由来をご存じの方は教えて頂けないでしょうか。

平成15年に所有者宅が移転したため観音堂も移転していますのでご注意ください。
大観光地・松島の中心地ともいえる場所にありますが海に比べて観光客は少なめでした。

観音堂は本堂入口の手前を50m位行った所にあります。

本堂へ行くにはお金がかかりますが観音堂だけなら要りません。

但し、ご朱印は本堂入口を入った所で頂きます。ご朱印だけ下さいと言っている人がいましたが、ちょっとどうかなとも思った次第でした。

ちなみに本堂は工事中でした。
平成24年04月29日 平成24年04月29日 平成24年04月30日
第七番 第八番 第九番
富春山 大仰寺 両峰山 梅渓寺 無夷山 箟峯寺
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
駐車場から石段をそこそこ登ったところに鮮やかな朱塗りの観音堂があります。

このお堂は伊達正宗公長女・五郎八姫が再建したものだそうです。

本堂は観音堂の奥の一段低い所です。

ここも本堂は工事中でした。
元は魔鬼山寺と言うお寺があったそうで、弘仁七年(816年)に別当寺として梅谷寺が創建された。

のちに廃寺の危機にさらされ梅渓寺として中興開山された。

ここと七番、九番は奥州三観音と呼ばれるそうです。
又これに十番・興福寺、十五番・華足寺、ニ十ニ番・勝大寺、二十四番・長谷寺を加えて奥州七観音とも言うそうです。
いずれも坂上田村麻呂ゆかりの地。
仙台平野の真ん中にある箟峯山(236m)の頂上にあります。

堂内には「奥州鎮護」と書かれた大きな扁額が掲げられています。

桜も満開で眺望も良く結構訪れる人は多いみたいですがお寺さんに参拝する人は少なかったですね。

ここも観音堂は一部修理中、地震の影響でしょうか。
平成24年04月30日 平成24年04月30日 平成24年04月30日
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