奥州三十三観音霊場   第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
宝持院 新山観音堂 中興山 徳寿院 円通山 観音寺
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 馬頭観世音菩薩
観音堂は文政年間(1818~1829年)に熊谷家ニ代目が建立したもの。

最初の写真は観音堂の方向を示していますがどう見てもここからは登れません。

向かって左側に道があるのでこれを登ると観音堂への指導標(写真2枚目)があります。

入口の灯篭は地震のためか二つ共倒れたままでした。(写真3枚目)

ご朱印は観音堂の中に置いてあります。
開山は長禄三年(1459年)、延命地蔵尊を本尊として安置している。

本堂は平成21年に完成したもの。

大きくてかなり立派です。

観音堂は山門の手前、左手にあります。

本尊の千手観世音菩薩像は木造90㎝の立像、作者も年代も不詳だそうです。
大同ニ年(807年)、田村麻呂が観音寺の前身となる天台宗の護国寺を建立、聖観世音菩薩をご本尊としていた。

南北朝時代には衰退したそうです。

その後、室町時代の弘治三年(1557年)に有壁城主・菅原帯刀長尚が再興のために開基となり、宗派を曹洞宗として寺号を現在のものとした。
平成24年05月01日 平成24年05月01日 平成24年05月01日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
楽峯山 勝大寺 大白山 長承寺 遮那山 長谷寺
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
観音堂は本堂から歩いて300m位ですが車でも側までいけます。

鳥居と山門を潜って少し歩くと立派な観音堂が見えてきます。

観音堂手前右手の石段を登ると白山神社です。

境内はとても綺麗に整備されていてとても清々しい感じがしました。

「小迫観音」とも呼ばれ奥州七観音の一つ。
石段を登って右手に本堂、左手に観音堂があります。

札所本尊は慈覚大師が自ら刻んだと伝えられる千手観世音菩薩像。

慈覚大師は奥州巡錫の際にこの地を訪れて草庵を結びしばらく逗留したそうです。

観音堂の建立については定かではないが、室町初期頃とも伝わる。
観音堂は鳥居を潜って石段を登った所にあります。

往時には奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺と共に日本三大長谷寺と称されていたそうですが、今は結構立派な観音堂は建っていますがが境内はかなり寂しい感じです。

順打ちに拘らなければ十番さんかの次に来るのが良いと思います。

当日はご不在でしたので翌日朝掛けで訪れご朱印を頂きました。
平成24年05月01日 平成24年05月01日 平成24年04月30日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
妙見山 黒石寺 亀峰山 長泉寺 東光山 観福寺
千手観世音菩薩 千手観世音菩薩 聖観世音菩薩
天平元年(729年)に行基菩薩が一宇を建立し東光山薬師寺と号したのが始まり。

後の嘉祥ニ年(845年)、慈覚大師がこの地を訪れしばらく逗留し、この時寺号を妙見山黒石寺と改めた。

観音堂は平成八年に建立されたもの。

後で知って後日訪れたのですが近くには曹洞宗奥州総本山と言われた正法寺があります。
山門を潜ると正面に本堂、観音堂は本堂の左手の裏に廻り少し登ったところにあります。

長泉寺は永保ニ年(1082年)、この地の地主の牧野平馬康明の開基で日輪山蓮華院永保寺と号した。

天台宗に属していたが、文安元年(1444年)曹洞宗に改められ、永正三年(1506年)に現在の山号寺号に改められた。

札所本尊の作者年台は不詳。
開山は嘉祥三年(850年)、慈覚大師が奥州巡錫のおり、この地に草庵を結んだ。

観音堂は本堂の右手にあります。

札所本尊の聖観世音菩薩像は延暦ニ十ニ年(803年)、坂上田村麻呂が奥州平定にあたり戦没者の供養と五穀豊穣、天下太平を祈願して奉安されたものと伝えられる。

「舞草の観音様」と呼ばれているそうです。
平成24年05月01日 平成24年05月01日 平成24年05月01日
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