尾張三十三観音霊場 
 第一番~第九番
 
第一番 第二番 第三番
北野山 宝生院
(大須観音)
金剛山 長栄寺 天林山 笠覆寺
(笠寺観音)
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
寺伝によれば、もとは尾張国長岡庄大須郷にあった(今の岐阜県羽島市大須)。
慶長十七年(1612年)、徳川家康が現在地へ移建したとあります。

「大須の観音さん」として参拝客で賑わっています。
聖観音像は弘法大師作とされるそうでうす。
山門を入った左手に本堂があります。

もとは中島郡荻園村に創建されたそうです、後色々な場所に移建されたようです。
現在地には天和二年(1682年)移建されたとあります。

一番さんから近いので歩いて向かいました。
10分少しの歩きです。
禅光上人が十一面観世音を刻み、天平五年(733年)堂宇を建てて奉安し天林山小松寺とした。

その後、寺は荒廃し尊像は雨ざらしになった。
それをあわれんだ貧しい娘が身につけていた笠をかぶせた。
この娘は後に藤原兼平夫人となり、延長八年(930年)兼平は堂宇を再建し笠覆寺と改めたとあります。
平成22年2月21日 平成22年2月21日 平成22年2月21日
 第四番 第五番 第六番
稲荷山 長楽寺 海雲山 普門寺 竜渓山 洞雲院
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
文明六年(1474年)義山禅師が再興し、明谷禅師を中興の開祖に曹洞宗に改め長楽寺としたとあります。

写真は観音堂です。
写真をクリックすると観音様がみれます。
知多八十八か所の第三番でもあります。

尊像の十一面観世音菩薩は像高104cm、杉材の一本彫だそうです。

ご開帳は十七年に一度とのことです。
天歴二年(948年)、菅原道真の孫・雅規が開祖とのことです。

明応二年(1493年)久松定益が禅透和尚を開山に迎え再建したとあります。

何かの工事中でした。
平成22年2月21日 平成22年2月21日 平成22年2月21日
第七番 第八番 第九番
岩屋山 岩屋寺 鶴林山 大御堂寺
(野間大坊)
萬松山 斉年寺
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
霊亀元年(715年)、元正天皇の勅願によって創建されたとあります。

現在は末寺三十ヵ寺、教会七十九におよぶ尾張高野山宗の宗本山だそうです。

前日、南知多三十三観音霊場巡りで訪れましたので二日続けての参拝となりました。
寺伝によると白鳳時代(465~710年)の創建、天平年間(729~749年)に行基菩薩が再興し阿弥陀寺とした。

弘法大師も留鍚し永歴年間(1077~1095年)、白河天皇の勅により堂宇が再建され勅願寺となり源寺号に改められたとあります。
寺伝によると亭録四年(1531年)大野城主・佐治上野守為貞が、父宗貞菩提のため華雲和尚を開山に、城内に一宇を創建した。

宗貞の法名斉年山にちなみ寺号を斉年寺としたとあります。

写真は観音堂です。
平成22年2月21日 平成22年2月21日 平成22年2月21日
観音霊場の旅トップに戻る 第十番~第十八番へ