相模新西国三十三観音霊場  第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
樹伝山 稱名院 大松寺(中原観音堂) 徳竜山 明王院 医王山 東福寺 宝積院
聖観世音菩薩 白衣観世音菩薩 聖観世音菩薩
大松寺は慶長十八年(1613年)の建立。

この辺りは中原御殿と言って江戸時代、徳川将軍家の御殿(別荘)があったそうです。

今はまったくその面影はありません。

ご住職はご不在でご朱印はお留守番?の方から頂きました。
永正七年(1510年)の開山、開基は500年以前と思われるとのこと。

本尊の白衣観世音菩薩は行基作と言われる。

江戸時代は隣の徳述神社の別当だったそうです。

本堂右手の観音立像は大理石で出来ているそうで触ってみなさいと言われたので、触ってみましたが結構手触りが良かったです。
お寺は昭和6年の建立。

文明十年(1478年)、大田道灌が平塚城を急襲、二百二十七人の死者を出しその遺骸を葬った塚の上に観音堂を建てたので観音山と呼ばれるようになった。

観音堂は江戸時代、上平塚・宝積院の境内に移されたとのことです。
平成25年11月16日 平成25年11月16日 平成25年11月16日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
花水山 東光寺 観音堂 叶谷山 観音院 瀧見山 青柳院
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 瀧見観世音菩薩
観音堂の世話は、主に町内の八幡神社氏子会を中心に行われている。

本尊・十一面観世音菩薩は春日作と言われている。

ご朱印は13年に一度の開帳時にしか出していないそうで、後8年後だそうです。
観音堂は世話人の澤野さんの敷地内にあります。

この観音様は根板間の宝珠院持ちだそうです。

以前は叶谷に在ったが百年程前にこの地に移されたという。

澤野さんは4代前からお堂のお世話をされているそうです。
天慶二年(939年)、僧・安詳律師の開創、中興は亭和四年(1803年)、当山第三十五世・峯慕大僧都なりとあるそうです。

本尊の瀧見観音は春日局の作とされている。

昔は竹千代や春日局が中原御殿やこの青柳院を宿坊としたと伝えられている。

近くを新幹線が通っていて結構通過音が気になりそうです。
平成25年11月16日 平成25年11月16日 平成25年11月16日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
吉澤山 延命寺 吉澤山 妙覚寺 東海山 龍雲寺
千手観世音菩薩 准提観音菩薩(子易) 馬頭観世音菩薩
昔、千手院という寺院が妙覚寺(二十六番)の西方に在ったが朽ち果てて失われてしまった。

千手観世音菩薩はこの千手院の本尊で今は延命寺の客仏として安置されている。

ご朱印は妙覚寺さんで頂きます。

歩いて巡る場合は二十六番さんを先に巡った方が良いです。
慶治元年(1142年)。持長上人の開山。

本山は比叡山・延暦寺。

山門を入ると正面が本堂、観音堂は左手にあります。

山門(室町時代末期)は県重要文化財だそうです。
北条氏の家居・布施三河守康貞の家居、増尾出雲の開基。

下吉沢の松岩寺の隠居寺であった。

ご朱印はお堂を出たら左折、左手に柿の畑を見て進み畑が切れた所を左折した左手の曽我様宅で頂けます。
平成25年11月30日 平成25年11月30日 平成25年11月30日
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