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第一番 那智山 青岸渡寺 【如意輪観世音菩薩】 |
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ゴールデンウイークを使って西国さん巡りを始めることにしました。 渋滞を覚悟し前日夜間早めに出発。あんのじょう渋滞にハマります。 「夜中の3時になんで渋滞なんじゃ!」 と叫びつつ、1時間程の仮眠で一番さんに到着。 寺伝によると、仁徳天皇の時代にインドから裸形上人が6人の同行者と共に熊野の浜に漂着。 上人は熊野各地を回り那智の大滝で観音を感得し、庵を作り祀った。 その後、推古天皇の時代に大和からきた生仏上人が楠の大木で如意輪観世音菩薩を彫り、その胸のあたりに裸形上人の観世音を納めて如意輪堂が建設されたとあります。 納経帳を購入。大きいのと小さいのが有りましたが迷った末、小さいのを買いました。 (決してケチな訳ではありません) |
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一番さんから山の中を走り、高速に乗って4時間程かかったでしょうか。 寺伝によると、奈良時代の宝亀元年(770年)唐からやってきた為光上人が霊地を求めて各地を行脚、名草山に霊光を見、その老松の下において千手観音を感得、新たに自ら千手観音を刻んで祀ったのが始まりとのことです。 山門から石段を登った左手が本堂、右手には新しくできた大きな仏殿があります。 |
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大門から中門を通って本堂へ。 縁記によると宝亀元年(770年)の創建と伝えられているとのこと。 また、この地の豪族、大祥氏の氏寺として建てられたともいわれる。 良く整備されたきれいなお寺さん。そんな印象でした。 |
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駐車場から山門まで登り、やっとついたと思ったらさらにキツイ登りが待っていました。 ひさしぶりの山登りって感じです。 ゆっくりゆっくり登り本堂に到着です。 欽明天皇の時代に行満上人が弥勤菩薩像を本尊として建立したのが始まりとされるそうです。 十一面千手観音は宝亀二年(771年)、行基の高弟・法海によって安置されたとのことです。 本堂の場所は標高530mです。 |
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16時半ごろ駐車場に到着。 「お寺さんは5時までですよ」 私:「しってま~す」 急いでお寺さんへ、駐車場からは歩いて5分程です。 寺伝によれば7世紀中頃、百済の王族の子孫である葛井一族が氏寺として創建したのが始まりとのことです。 このあと、今夜の宿への道順を駐車場のおじさんに教えて頂き本日は終了です。 |
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第六番 壺阪山 南法華寺(壺阪寺) 【十一面千手観世音菩薩】 |
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ちょっと早く着きすぎたので少し待って境内へ。 境内には大きな観音様やら石像がたくさんあります。 寺伝によると、大宝三年(703年)、僧弁基が山中で修業中、水晶の壺中に観世音菩薩を感得、その壺を坂の上に安置し、観音像を刻んで本尊としたことに始まるとのことです。 こちらはご開帳中、観音様にじかに触れることができました。 (ちなみに500円かかります) |
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駐車場から急な坂を少し登ると山門です。 山門からは石段を登るとすぐ本堂に着きます。 天武天皇の皇太子草壁皇子が住まいした岡宮を、皇子没後にもらい受け寺に改めたのが始まりとされるそうです。 奥には遊歩道があるみたいですが行っていません。 |
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多くの方がご存じの長谷寺です。 朱鳥元年(686年)、飛鳥・川原寺の僧道明が天武天皇の病気回復を祈願して、西の岡に銅版を安置したのが草創。 ここは東海自然歩道のルート上にあり以前歩いて訪れたことがあります。 さすがに多くの人で賑わっていました。 |
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長谷寺さんへの参道の途中にあります。 こじんまりとしたお寺さんです。 こちらは西国三十三ヵ所の霊場を設けた”徳道上人”が晩年に住んだと伝わるお寺さんだそうです。 このときは残念ながら巡礼は広まらず、後に”花山法王”が再興したとのことのようです。 |
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今回の旅で心配の一つだった奈良の中心部へ向かいます。 思った通りの渋滞、駐車場ナシ。 大仏さんから近鉄奈良駅をすぎた方向に駐車場を探して行きます。 やっと確保、南円堂までは歩いて15分程のところでした。 こちらは藤原氏の祖である中臣鎌足の妻・鏡女王が京都の山科に建立したのが始まりとされているとのことです。 右の北円堂はこの時期だけ入れるとのことでした。 |
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奈良から京都方面へ、ゴールデンウイークのわりには比較的順調でした。 参道には花の庭園が広がってます。 創建の時期は定かではないそうです。 納経所のおじさんはお疲れなのか、かなりふてくされぎみだったのが残念でした。 |
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