猿島坂東三十三観音霊場   第一番~第九番
 
第一番 第二番 掛所
大悲山 福壽院 亀見山 大悲院 大龍寺 納谷の観音堂
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
始めは千葉県・野田市から、関宿藩の城下町である関宿にあり舟運の要所として栄えたそうです。

当初は城の大手門近くにあったが、昭和30年代に江戸川の改修工事に当たり現在地に移ったとあります。

8時半に着いたら30人位の人で一杯、納経帖を買うのに20分位掛かりました。

このご開帳を結構待っていた人が居るんですね。
天正六年(1578年)、浄土宗の幡髄意上人によって開かれた。

一番さんから近いので歩いて行きました。

皆さんまだ慣れない手つきで応対されていました。
掛所とは番外札所の一種で、巡礼者が札所や善根宿に鈴を掛けて休息したり、滞在したりしたことからいわれたという。

着いたら開帳法要?の最中、終わるのを待ってご朱印を頂こうとしたら、納経帖には掛所の分が無いのです。

代わりに頂いたのが安産のお札、さてどうしましょう。。。また伺いますか。。。
(3月23日に伺いました、ご朱印が用意してありました)
平成25年03月17日 平成25年03月17日 平成25年03月17日
第三番 第四番 第五番
亀形山 延命寺 吉祥院 三寶山 観音寺 香取院 医王山 善福院
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
当初は近くの鹿野にあった道全院が三番札所であったが、当寺に移されたそうです。

ご詠歌の中には旧札所の道全院の名がえ残されています。

立派な山門、納経所のおじさんも楽しそう、写真撮影している人に「おにいさん、こっちも撮ってくれや」とポーズをとってました。!(^^)!
山門は鐘楼を兼ねていて延亭元年(1744年)の建立と伝えられている。

本堂と観音堂は昭和二十六年、落雷による火災で焼失したそうです。

山門を潜ると、正面が本堂、観音堂は本堂の左手にあります。

甘酒とお煎餅の接待を頂きました。
以前はもっと沼寄りにあったが、長井戸沼土地改良工事に伴い現在地に移ったそうです。

初日のしかも午前中とあって皆さん忙しそうにされていました。
平成25年03月17日 平成25年03月17日 平成25年03月17日
第六番 第七番 番外
新富山 妙法寺 大悲山 般若院 関観音堂
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
妙法寺は熊野神社の別当寺としてあったが。明治初期の神仏分離の影響で廃寺とった。

札所本尊の千手観世音菩薩は境内に建てられている稲尾集落センターに安置されている。
(熊野神社の右手にあります)

着いた時にはたぶん準備が一通り終わったところだったのでしょうか、沢山の方が佇んでいてしばらくして何処かえ行かれました。
札所本尊の聖観世音菩薩像は行基作と伝えられ、白木の一本造り、両手が欠けているとこから「手なし観音」と呼ばれているそうです。

着いたときは皆さん宴会の真っ最中、しかも舞台付きのトラックでカラオケ。

なんか変な言い方ですが、いかにも田舎っぽくて楽しそうですね。
かつて栄福寺という寺があったが火災のため焼失し廃寺となった。

その折、檀徒を代表していた関氏が観音様を預かり、その後屋敷内にお堂を建てて観音様を祀ったそうです。

お赤飯のお結びのお接待を受けながら、しばしお話をし後にしました。
平成25年03月17日 平成25年03月17日 平成25年03月17日
第八番 第九番
青谷山 地蔵院 東漸寺
(中山観音堂)
益葉山 久昌院
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩
東漸寺より北西の方向1㎞くらい離れた境外地にあり、「中山観音堂」と呼ばれている。

札所本尊の十一面観世音菩薩像は行基作と伝えられる。

前の駐車場は結構広いので停めるのには苦労しませんでした。
葛飾坂東の第十八番札所も兼ねていて、札所本尊は十一面観世音菩薩だそうです。

葛飾坂東は来年ご開帳みたいです。

こちらもトラックの舞台を設えて宴会の真っ最中、大きな歌声をしり目に般若心経を唱えました。

12年に一度なのでみんな頑張ってますね。
平成25年03月17日 平成25年03月17日
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