猿島坂東三十三観音霊場  第十番〜第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
高日山 妙光院 遍照寺 慈雲山 千手院 常繁寺 宝蔵院
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
文明三年(1471年)、覚果法印によって創立されたと伝えられる。

ご本尊は阿弥陀如来、立派です。

その左手に札所本尊の十一面観世音菩薩像が祀られています。

金箔は平成元年に貼られたものだそうで、ご開帳時以外は表にでないので今でも当時のままの状態を保っているそうです。
逆井城の城主であった逆井常繁公の菩提を弔うため、寺号にその名を留める寺。

朱塗りの山門を潜ると、正面に本堂、観音堂は左手です。

本堂にお参りしてから観音堂へ、お堂の手前に納経所が作られていてちょと手狭な感じになっていました。
慶長五年(1600年)の開基、明治初期に廃寺となった。

現在は観音堂の跡地に建てられた公民館に十一面観世音菩薩像が安置されている。

寺には雄弁上人が作ったとされる正徳五年(1715年)の版木が秘蔵されているそうです。
平成25年03月17日 平成25年03月17日 平成25年03月17日
番外 第十三番 第十四番
円明院 瑠璃光山 福乗院 慈眼院
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
猿島坂東観音霊場の開祖「雄弁上人」の終焉の地である。(享保十四年十二月十日)

上人は即身仏になったとゆう由緒を今に伝える霊場だそうです。
何処におられるのかな。。。

札所前の道は狭く、駐車スペースも狭いので注意です。
寺が開かれたのは江戸時代の天和のころといわれ、明治初期に廃寺となった。

明治十年に火災に遭い本堂をはじめ大方を焼失していまったそうです。

跡地には観音堂、地蔵堂、愛宕社、五輪塔などが建ち、かつての名残りを留めている。

そういえばこれまでの札所では写真のような小屋に人形が置かれています。
明治に入り廃寺となり、現在その敷地には香取神社、大六天社が鎮座している。

本尊の不動明王、札所本尊の聖観世音菩薩かつての境内跡に建てられた集落センター内に安置されている。

札所への道は狭いですが境内は広いので駐車には問題ありません。
平成25年03月17日 平成25年03月17日 平成25年03月17日
第十五番 第十六番 第十六番
教王山 神護寺 大照院 無量寿山 神勝寺 金剛院 摩尼珠山 聖宝院 東光寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
縁記によると、平安のころ天台宗の恵心僧都がこの地を訪れ、菅原道真を鎮守として祀り、山号を教王山と称し、神護寺大照院と号した。

参道の左手に観音堂、正面は本堂でしょうか、でもそこには。。。

行かれると分かります。。。
当初の十六番は若林村の観行院であったが、火災にあい、聖観音は東光寺に移された。

時が経ち、若林の方々はかつての札所への追慕と信仰の高まりによって改めて札所を設けたようです。

観音堂は本堂の右手にあります。
秋田からも巡礼に来ている人がいるみたいです。
正長元年(1428年)、僧・廣円によって開かれた。

江戸時代には末寺も十指を越える名刹として知られていた。

マイクロバスで団体さんがお参り来ていて忙しそうでした。
平成25年03月23日 平成25年03月23日 平成25年03月23日
第十七番 第十八番
神護護国聖宝寺 慈徳山 萬蔵院 延寿山 医王寺 伝授院
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
貞観十二年(870年)の創設、猿島地方随一の真言密教の教学の場として栄えた。

第五十二代住職・雄弁上人は猿島坂東札所の開設者、現在も札所会の事務局を掌っている。

最初の写真の山門は私が入った山門で横手の山門でした。
二番目の写真が正面の山門です。
寺伝によると、弘治二年(1556年)、俊開和尚の開基。

明治の末ごろ、隣村生子村の本寺である満蔵院に合併した。

現在、かつての境内地に観音堂があります。
隣は地蔵堂です。
平成25年03月23日 平成25年03月23日
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