弘仁六年(815年)、徳一大師が観音山の中腹に一宇を建立、堂内に自ら刻んだ千手観音像を安置し開山たという。
観音堂は総けやき造りで下野三十三札所の中では一、二の大きさを誇る。
慶長十年(1605年)、藤原義貞によって再建されたもので、堂宇の大きさは9.3m四方、昭和59年に大改修された。
立派な観音堂です。 |
縁記によると、天平九年(737年)、僧・行基が十一面観世音を安置したのが草創とあります。
延暦元年(782年)には一山十二坊を数えて隆盛を極めた。
以降、数度の火災によって諸堂の一部を焼失するも応永元年(1394年)、益子勝直によって堂宇が再建された。
坂東三十三観音札所の第二十番札所でもあります。 |
文和元年(1352年)、益子城主・紀仲之が建立し、仲之の伯父で真言宗本山において修業した、尊慶上人が開山したと残る。
天保十一年に本堂やそれまでの記録を焼失し、詳しいことはよく知られていない。
観音堂は永録年間(1560年頃)、赤羽宗重の建立と伝わるが、のち火災により焼失、嘉永五年(1852年)に再建された。 |