古文書によると、開基は天慶二年(939年)と伝えられる。
はじめ県南西部を治めていた藤原秀郷が大平山麓に釈迦尊寺として建立。
延徳二年(1490年)、宏祐上人によって現在地に移築され、その時寺号も金剛峯山東泉坊称徳院如意和寺と改められた。
天正十九年(1591年)には、徳川家康も立ち寄っている。 |
天平年間(729〜74年)、僧・行基によって開基されたと伝わる。
観音堂は本堂から徒歩5分ほどのところ、観音像はこれまで行基作と伝わっていたが、解体修理を行った際、胎内に残る書きつけにより、文永二年(1265年)の観阿蛇作と判明した。
しかし700年以上も昔の作である。
以前は十二年に一度の開帳であったが、平成二年よりその姿を毎日拝むことができるようになった。
写真は観音堂です、本堂から3分程登った所にあります。 |
富士泉応院の法師が比叡山で修行をしていたころ、親王から観世音像を贈られた。
のち護良親王の死を悲しんだ側室が、この観音像を守り受け、山の中腹の根光寺に祀ったのが始まりとされる。
寺は南朝方であったため、北朝の足利氏ににらまれ、本尊は誰かに投げ捨てられてしまう。
これが漁夫の網にかかり、沼のほとりに安置された。
やがて領主が観音様の夢を見て、その地を引地山日向寺と名づけたと残る。 |