無常院は天台宗の僧・誓林坊が永承三年(1048)に開基し、一時衰退したものの、天正二年(1574)に京都知恩院派の古刹として地域の信仰を集めてきた。
善光寺と同じ「立葵」を寺紋とし、古くから善光寺7院のひとつに数えられてきた由緒ある寺院である。
秘仏である銅製鋳造の本尊も「善光寺仏」と呼ばれる一光三尊の阿弥陀如来像で、善光寺の前立本尊より古い鎌倉時代中期の作と推定され、長野市の文化財に指定されている。
本堂は工事中、車の人は狭いので注意です。 |
ご本尊の聖観音菩薩は「日不見の観音」と呼ばれ、厨子の扉を開けることを禁じられていた。
扉を開けると北風が吹いて水害が起き、開扉した者は急死、住職にも不幸があると信じられていたからである。
昭和46年2月、本堂の屋根葺き替えに際し信者一同が厨子を移動中、突然扉が開いた。
金色の立像で、脇侍の阿弥陀如来、地蔵菩薩像とも、同じ仏師による江戸時代初期の作と推定され、藤原時代の古様式にならった洗練の彫技が見て取れ、荘厳かつ慈悲にあふれた雰囲気を持っている。 |
「古今和歌集」には、幾人もの歌人が「さらしなの地」や「おばすて山」を月の名所として詠んだ歌が編まれている。
縁起によれば、木花咲耶姫神の姉の大山姫は姿醜く心悪しき女神だったが、妹神の娘である姪の木の花姫から北の国の満月を見て歌に詠めば心が清まると教え諭され、はるばる当地を訪れた。
折しも中秋の秋の夜で、大岩の上から満月を見て徳念が生じ、昇天した。
叔母(=姨)姫が凡慮を捨てた岩ゆえ、以来この大岩を「姨石」 、この地を「姨捨」と呼ぶように」なったという。 |