弘仁七年(816年)慈覚大師が霊夢を得てこの地を訪れ、山中に求めた霊木に十一面観音像を刻んで奉安したのが開基とされる。
この時、木片のひとつに経文を書いて埋めたことから、仲仙寺の背後にそびえるその山を経ヶ岳と呼ぶようになった。
その後、数度の火災に逢うも、堂宇を寄進した歴代飯田城主をはじめ地域の人々の篤い信仰心に支えられ、その都度再建して今に至っている。
新しい山門のむこうにもう一つ山門があります。 |
承和元年(834年)、天台宗の高僧・慈覚大師が信濃巡礼の折、この地で一本の柳の木から三体の観音像を彫刻された。
その際、柳の胴の部分でつくった像をここに奉安したのが開基といい、「柳」「胴」に通ずる龍洞山と号したと伝えられる。
頭の部分に刻んだ尊像は28番札所の龍福寺に、根本の部分に刻んだ尊像は平等寺に安置したとういう。
切り立つ岩山の中腹に食い込むように建つ朱塗りの観音堂は、以前本堂裏の洞窟中に安置されていたことから「岩屋堂の観音さん」と呼ばれており、遠方からも参詣客が絶えなかったという。 |
文禄四年(1595年)、下桑村の念仏行者・河西浄西が開基し、尾張の弾誓上人が諸国を修行行脚の折、仏道修行の道場となしたと伝えられる。
開基当時は裏山の岩窟に十一面観音をまつるのみの道場であったが、諸国から多くの行者が集まるようになり、堂宇が充実。
現在も浄土宗の修業道場として名高く、仏道を志す若い僧が修行に明け暮れる姿が見られる。
本堂の左手にそそり立つ岸壁の中程にある懸崖造りの建物が岩屋堂で、この奥に十一面観音を安置し、子授けのご利益が信じられている。
そこそこの登りなので良い運動にはなります。 |