新上州三十三観音霊場   第十番~第十八番
 
第十番 第十一番
月音山 明言寺
(こぶ観音)
如意山 教王寺
千手観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
元久元年(1204年)、天台宗の寺院として創建されましたが、その後天正二年(1574年)、曹洞宗寺院として再興されました。

別称である「こぶ観音」は、観音のあらたかな霊験を説く「子生観音」と「瘤観音」の二つの説に由来するものだそうです。

それぞれの説は結構長いので省略します。

結構有名なお寺さんみたいで、訪れる人も絶え間なく来られていました。

ご朱印は書き入れして頂けます。
大阿闍梨良賢大和尚を召して開山、京都の真言宗大本山東寺(教王護国寺)が内裏の祈願所として創建されたのにちなみ、教王寺として創建されたとのこと。

一説には新田一族の細谷氏の氏寺ともいわれるそうです。

後から分かったのですが、こちらは鐘が突けます。
(お参りしていたら家族が入って来て子供が鐘を突いていました:残念。。。)

関東八十八カ所霊場の第十三番札所です。
平成22年8月28日 平成22年8月28日
第十二番  第十三番
観音山 万徳寺
(石山観音)
今宮山 蓮花院
(前橋厄除大師)
聖観世音菩薩・馬頭観世音菩薩 聖観世音菩薩
延歴三年(784年)、法印源通の開山と伝えられている。

仁王門は安永五年(1776年)の建立とされている。

仁王門を潜ると大きな鰐口(わにぐち)があります。
直径2mで天明七年十月(1787年)奉納の物。

石山観音は馬の信仰で知られ、かつては近郷近在から馬を飼う人々が馬とともに参拝し、鳴らした鰐口の下を通して馬の無病息災を祈ったそうです。

駐車場から坂を登ると墓地の小高い丘の中に山門が見えます。
天文二年(1533年)、玉泉上人の開山。

現在の本堂伽藍は元録三年(1690年)、中興の住職・舜賀上人の代に建立。

明治二十五年五月、川崎大師御本尊「厄除弘法大師」を奉安し、ご本尊様の第一の分身の称号を川崎大師よりいただけりとあります。

関東八十八カ所霊場の第五番札所です。
平成22年9月4日 平成22年9月4日
第十四番 第十五番
太陽山 天増寺 石岡山 退魔寺
千手観世音菩薩 子安観世音菩薩
慶長八年(1603年)に伊勢崎の領主・稲垣平右衛門長茂により、稲葉家の菩提寺として創建された。

寺内にある貞和二年(1346年)十一月の宝塔から推定すると、南北朝時代の天台宗の寺跡ではないかと考えられるそうです。

長茂は関が原の戦いでの論功行賞で伊勢崎の領主となり一万石が与えられた。

長茂は慶長十七年病没、嫡男重種が二代目藩主となり、元和元年(1615年)大阪夏の陣の戦功により越後国藤井二万国の領主となったため、この地での冶政は十六年間であったが、その後も稲垣家の代々の墓が建てられたそうです。
応安四年(1371年)、茂呂城城主・茂呂勘解佐衛門義輝が伝法大師作の「不動明王」を本尊として、城の一角に香華院を建立、足利・小俣の鶏足寺より道輝上人を迎えて開創されたことが始まりと伝えられている。

寺号の由来は小田原城攻撃に参戦する石田三成が当地をよぎりし時、近くに掛けられた土橋に出没する妖怪を兵を遣わして退治したという。

住民、これを多いに喜び石田三成の徳を讃え退魔寺としたとあります。
平成22年9月4日 平成22年9月4日
第十六番 第十七番
白樺山 観音寺 宝幢山 光明寺
千手観世音菩薩・如意輪観世音菩薩・馬頭観世音菩薩 十一面観世音菩薩
正冶二年(1200年)、法印快存の創建。

天正十年(1582年)六月、神流川合戦の兵火により一切を焼失。

1653年、法印盛長が中興開山となり、現在地に本堂・庫裡・観音堂を再興、御朱印二十石を賜るとあります。

新しい観音堂が建てられていました。

こちらは南毛霊場の第一番札所にもなっています。

ここから東毛から西毛の霊場に入ります。
延文四年(1359年)、滝の慈眼寺の二代法印浄儀によって南東二㎞の中栗須の地に建てられた。
織田信長の家居・関東官領の滝川一益が武田勝頼を滅ぼした合戦のとき、兵糧所となったため焼き討ちに合い荒廃。

慶長十三年(1608年)、十六世佑法法印が現在地に移したが、天保元年(1830年)、火災にあったが有法上人が再建し現在に至っている。

現在の本堂は弘法大師ご入定千百五十年ご遠忌を機に鉄筋コンクリートに改築したそうです。

関東八十八カ所霊場の第四番札所です。
平成22年9月4日 平成22年9月4日
第十八番 
天佑山 仁叟寺
千手観世音菩薩
応永元年(1394年)、奥平公田に奥平貞訓公により創建。

その後、大永二年(1522年)、子孫の貞能公が寺領を寄進して現在の地に本堂を再建して開基となる。

本堂は約500年も経た大伽藍で茅葺屋根を瓦葺きに替えただけて現在に至っており、本尊の釈迦如来が安置されている。

広い境内ですが昭和六十二年から平成八年まで諸堂の改修と新築が行われ、とてもきれいに整備されています。

札所本尊の千手観世音菩薩は八世の天威大裕大和尚が八東山南麓の神保の飛び地に創建開山した観音寺に安置されていたもの。

観音様は本堂に入って左手におられます。
平成22年9月4日
観音霊場の旅トップに戻る 第十九番~第二十七番へ