新上総国三十三観音霊場   
第十番〜第十八番
 
第十番 第十一番 第十二番
南仙山東光院 長泉寺 如意山惣持院 久原寺 松嶺山吉祥院 興源寺
聖観世音菩薩  聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
九番さんから約13kmです。
君津ICからだと2kmほどで着きます。

開山は明らかではなく、この寺院の伝承と境内の樹齢から500年ほど前ではないかとされているとのことです。

写真は観音堂です。
十番さんから約10kmです。

こちらはもももとは近在の市宿久原という村にあったので、その名がつけられたとのことです。

現在の西猪原に境内を移したことについては、二つの地誌が相互に対立しており、それらの時期には百年余りのずれがあるそうです。
十一番さんから約10kmです。

創建は応永年間(1394〜1428年)、時の城主、武田道環の菩提寺として建立されたとのことです。

左手に見えるのは護摩堂です。

写真をクリックすると観音様が見れます。
平成21年12月19日 平成21年12月19日 平成21年12月19日
 第十三番 第十四番 第十五番
金華山 華蔵院 石洞山 不動院 医王山 園鏡寺
十一面観世音菩薩  聖観世音菩薩  聖観世音菩薩
十二番さんから約17kmです。
新上総巡礼では一番南に位置するお寺さんです。

大永二年(1522年)の創建。

裏山は砲台山とも呼ばれ、東京湾への侵入を防ぐため、大砲が置かれていたみたいです。

富津金谷ICからだとICを出てすぐ左に曲がる道を行くと着きますが、道は非常に狭く車はほとんどすれ違えられないと思います。

一旦、127号線に出てから行った方が安心かと思います。
十三番さんから約7kmです。

永仁二年(1294年)、願行という高僧によって創建されたとのこと。

本堂は明治三十二年の再建だそうです。

左手に階段があり、その先に不動堂があります。
十四番さんから約9kmです。

縁起は、隣接する像法寺の塔頭(たっちゅう)寺院として建立されたとあります。
塔頭とは、禅宗寺院の住持が没すると、弟子がその道徳を慕って慰霊塔の頭(ほとり)に小院を建てることをいうそうです。

こちらのご住職さんは最近亡くなられたそうで、今は十六番さんのご住職が兼務されています。

本日も午前中はこちらにこられていたそうです。
平成21年12月19日 平成21年12月19日 平成21年12月19日
第十六番 第十七番 第十八番 
古船山地蔵院 像法寺 白雲山慈光院 寳龍寺 妙覚山 岩富寺
聖観世音菩薩 十一面観自在菩薩 千手観世音菩薩
十五番さんから約600mです。

ご朱印をお願いすると中へどうぞと言うことで上がらせて頂き、お茶を頂きながら色々なお話を伺いました。

飛行機が好きなようで色々なところに行かれているみたいです。

一度の人生なのだから笑顔ですごすのが良いとおっしゃてました。

豪快にお笑いになる面白いご住職さんでした。
(但し、30分位は捕まる御覚悟を(*^_^*))

ご住職は十五番さんのご住職のご子息です。
十六番さんから約4kmです。

寺伝によると仁和元年(885年)、元和という和尚によって創建されたとあります。

古くは法丁寺、法竜寺とも書かれていたが、文録三年(1595年)の記録では寳龍寺村という地名がみえるとのことです。

十八番さんは今は無住で入口は閉まっていること、ご朱印は像法寺さんに置いてあることを教えて頂きました。

お接待にメモ帳やら色々な物を頂きました。
納経料より多いみたいです。
またまた恐縮です。
十七番さんから約4kmです。

七世紀後半の創建とされるそうです。
かつては弘法大師八十八ヵ所の七番霊場であったことを示す石碑が今も残っています。

像法寺さんのご住職によると、ご住職が亡くなられたそうで現在はご子息が管理されているそうですが、別のお寺さんにおり遠いので何時も開けておくのは難しみたいです。

入口の柵ははりがねで縛ってあるので開けて入っても良いですよとのことでしたのでお参りさせて頂きました。
お堂までは結構な登りで500m位はあります。

お堂には差し替え用のご朱印が置いてありました。

写真をクリックすると観音様がみれます。
平成21年12月19日 平成21年12月23日 平成21年12月23日
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