寺伝によると、神亀五年(728年)、聖武天皇の開創という。
永正七年(1510年)、本寺である林叟院(焼津)の天祖龍禅師によって改創され曹洞宗となる。
天正十八年(1590年)に豊臣秀吉により寺領を安堵されている。
慶長五年(1600年)、徳川家康が関が原の合戦の途中、この寺に一泊した。
合戦に勝利しての帰路、再びこの寺に一泊して寺領を加増させたという話が伝わっている。 |
寺伝によると、御本尊は聖一観音といわれ、もと鎌倉の村岡村の杉山寺に安置されていたという。
今から650年前、新田義貞が鎌倉を攻め北条高時を亡ぼした時杉山寺も戦火によって焼かれた。
この時、ある者が本尊を持ち出したが、誤って滑川に落としてしまった。
尊像は海に流れ、焼津当目の浜の巨岩(こらを観音岩という)の上にたどりつき、この観音を土地のものが拾い上げ、一寺を建立して安置したのがはじまりという。
現在は無住です。 |
補陀洛寺は今川氏興亡の地として知られる歴史の地・花倉にあります。
途中には「花倉の乱」で知られた「偏照寺」があります。
(花倉の乱(はなくらのらん、花蔵、はなぐらとも)は、戦国時代の天文五年(1536年)に起きた、駿河国の守護大名、戦国大名でもある今川氏のお家騒動。
「花倉」とは、静岡県藤枝市の地名で、玄広恵探らが挙兵した地にちなむ、あるいは恵探は「花蔵殿」と呼ばれていたからとも云われる。
嫡流の栴岳承芳(今川義元)らが勝利し終結。)
梵鯨和尚が開いた寺といわれている。
梵鯨和尚とはどんな人物か、また寺の由緒も定かではないとのことです。 |