延元年間(1336~40年)、足利尊氏の開基という。
本尊は、尊氏の持念仏といわれたが、観応年中(1350~52年)の戦乱に遭い諸堂を焼失した。
その後、延文二年(1357年)に今川基氏の小、仏満禅師・法忻が再興して開山となった。
厳腰山端雲院と呼んだのは、慶長十一年(1606年)、広済慈照禅師の時という。
本尊の如意和観音は延歴二十三年(804年)、伝教大師が一刀三礼して刻んだものと伝わる。 |
寺伝によると、弘長年中(1261~64年)、北条家・最明寺時頼の建立といわれ、寧一国師を開山とし、正徳年中(1711~16年)に晩盁和尚が中興したという。
臨済宗・興津清見寺の末寺で一般的には「物見山観音」と呼ばれている。
宝歴三年(1753年)、火災により焼失、現在の堂宇は、明和七年(1770年)に再建されたものという。
本尊の十一面観音は高さ50㎝程の木仏立像。 |
寺伝によると、延亭二年(1745年)九月、由比の海岸を馬頭観音が浮流するのを土地の人が発見して救い上げ、観音さまを安置する村堂を建てた。
そして村の有力者である岩辺右衛門光周の妻が開基となって寺が建立されたものという。
由比宿の古い町並みの中にあり、車の人はとめる所を見つけるのが大変かと。。。
私の場合は周りを2周してしまいました。 |