庄内札所三十三観音霊場  主番・第一番~第九番
 
主番 第一番
羽黒山 荒川寺 羽黒山 正善院
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
約1400年前、出羽三山の開祖・能除大師(蜂子皇子)は月山、湯殿山へ赴く際に荒沢で別火修業し、湯殿山御宝前鎮火大権現と呼ばれ、その弟子の弘俊が草庵を建立し、広沢寺と称した。

これが始まりだそうです。

後に弘法大師、慈覚大師、心淨坊勝尊らもここを訪れ、修業を積んだそうです。

写真は観音堂です。(写っているのはです)

本堂はまだ雪で入れませんでした。

ご朱印は一番さんで頂きます。
荒川寺さんから10分弱で着きます。

寺伝によると貞観二年(860年)、慈覚大師の開基とのこと。

かつては羽黒山十大伽藍の一つ、手向山中禅寺の本坊として配下に三百坊をおいた寺だったそうです。

黄金堂は、建久四年(1193年)源頼朝の建立だそうです。(国指定重要文化財です)

納経帳を購入、観音様巡りの始まりです。
平成22年5月1日 平成22年5月1日
第二番 第三番  第四番
羽黒山 金剛樹院 長瀧山 善光寺 福地山 長現寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
一番さんからすぐです。

能除太子が崇峻元年(588年)に開基と伝えられる。
その昔、勅使が羽黒山に来たときの宿泊所であったとのこと。
羽黒山内八大寺院の一つだそうです。

写真は観音堂です。
本堂の左手から登った所にあります。

訪れたときは丁度何処かの取材が終了した所でした。
五番さんの次に向かいました。

駐車スペースは車1台ほど、駐車して石段を登ろうとすると直ぐそばのお宅の方が出てきて
「その横の道から上まで行けますよ」
とのこと。
ここに停めて置いても良いとのことでしたので石段を登りました。(石段は79段あります)

三百数十年前に本寺光星寺第四世、然先全廓大和尚によって開山。

本尊の阿弥陀如来は慈覚大師の作と伝えられるとのことです。
ご朱印は六番さんで頂きます。
二日目、二十九番さんの次に向かいました。

今回は順打ちでは無く反時計回りに巡っています。

三百八十年ほど前に後田集落にある長厳寺の六代目笑山祖聞大和尚が隠居寺として建てたと伝えられているそうです。

通常のご開帳は毎年4月9日と8月9日の二回のみだそうです。
平成22年5月1日 平成22年5月1日 平成22年5月2日
第五番 第六番 第七番
桃林山 永鷲寺 白狐山 光星寺 寺尾山 法光院
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
二番さんの次に向かいました。

かつては善宝寺の末寺で華厳寺と呼ばれていたが、後に現在地に移されたとのこと。

中興の祖は、添川城主・梅津中将実高公。
執権、北条時頼に派遣された出羽探題だそうです。
三番さんからすぐです。

貞観三年(861年)の創立、開山は慧通禅智大和尚。
開基は住宝波伝密公九師大和尚。

観音様は右手の建物の中におられます。
三十番さんの次に向かいました。

大同二年(807年)の創建と言われ、明治時代の神仏分離以前は春日神社と一体で最も格式高い責任者が住む修験道場であったそうです。

お寺さんは神社の鳥居を潜って石段を登る途中の左手にあります。
平成22年5月1日 平成22年5月1日 平成22年5月2日
第八番 第九番
椙尾山 地蔵院 湯殿山 大日坊
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩
二十三番さんから向かいました。

当寺は大山犬まつりで有名な椙尾神社の筋向かいにあります。
椙尾神社には六坊ありその一坊だそうです。

本尊は江戸期に山城国清水寺の千手観音を分霊した千手観世音菩薩。
湯殿山は伊勢、熊野と並ぶ日本三大霊場の一つで、出羽三山の象徴。

伊勢の奥の院と称し全国から信仰されたとのことです。
大同二年(807年)、弘法大師は湯殿山御沢諸仏、総てを勧請してこの地を大阿弥(大網)と名付け、自ら一刀三礼して本尊の金胎両部大日如来像を刻んで祀り、今の大日坊を教王瑜伽寺と称し開山されたとあります。

お前立ちの金剛界大日如来像は徳川三代将軍家光公の乳母・春日局の寄進だそうです。

真如上人の即身仏を真近で見ることができます。
平成22年5月2日 平成22年5月2日
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