貞観元年(859年) 慈覚大師により開山されました。
その後、 中興開祖尊海僧正が勅命により永仁四年(1296年)に再興し、 明治維新前は武蔵総社大國魂神社の別当寺(神社の事務一切を司るところ)でありました。
寺格は徳川家康公より15石の朱印境内除地を賜り、 徳川幕府代々当山住職が江戸城賀正登城の 折りには、 色衣を着用し、 また、 乗輿独礼をもって例としました。
明治16年には世良田長楽寺の末寺を離れ延暦寺の直轄寺となり、 中興より今日に至るまで37世と続いております。 |
寛文二年(1668年)、法印良田により開基されたと伝えられています。
府中安養寺の末寺。
本尊は如意輪観音坐像で宝珠の力で、衆生の苦しみを救い、富・貴・資力・勢力・威徳等を願いのままに授け、信仰により天道上をせい成就することができると伝えられている。
「ピンポン」しても誰も出て来られないので諦めて行こうとしたら、丁度奥さんが帰ってこられました。 |
明応六年(1495年)四月、賢智法印の開基。
十一面観世音菩薩は、応仁二年(1468年)、房州・洲の崎の海より引き上げられ、その後数世を経て、宝永五年(1708年)正月、稲毛領久地村の住人、八島平左衛門、八島忠左衛門、江戸の住人、鎌倉屋太兵衛らにより寄進された。 |