多摩川三十四観音霊場  第十九番〜第二十七番
 
第十九番 第二十番
熊野山 観音院 玉泉寺 小島町 地蔵堂
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
大古は大輪寺と云い、多摩川の対岸に在り、人皇第34代舒明天皇六甲午年(634年)10月浄慶法印の開創にて、薬師文殊の両像を安置しました。

年を経て建造物も年輪と共に次第に荒廃していき、文応年間北条時頼が諸国行脚の折り、荒廃した堂宇を再造営したが、 多摩川の 度重なる洪水により被害甚大であり、その折文殊の尊像を失い、薬師の尊像のみを奉安しています。

中興開山・尊祐法印、その敷地を左岸に求めて、永正元甲子年(1504年)10月17日堂宇を再建して行基作の 十一面観音を併安し、更に鬼門除として熊野権現を祀り、熊野山観音院玉泉寺と改称しました。
縁記は古文書等焼失のためさだかではありません。

所蔵の香炉には「宝暦十二壬午年八月吉日武州江戸小石川天祥山竜禅院住持比丘一渓硯貫奉納焉(えん)」の銘がある。

観音像の他に地蔵尊、不動明王、軍茶利明王、阿弥陀如来などの古仏がある。
平成23年7月9日 平成23年7月16日
第二十一番  第二十二番 第二十三番
神明山 観音院
(染屋観音)
雲騰山 妙覚寺 国寶山 甘露院 医王寺
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
寛永八年(1631年)に深大寺第五十四世・良明法印の法弟・良雲和尚によって開山されました。

当時は深大寺の隠居寺として、高僧が住職をしていました。

開山当時諸国の大名が参勤交代の時に、甲州街道に面して おり、 高僧が居られると言うことから必ず参詣がなされていたと言い伝えられ ております。

ご本尊は慈覚大師御作の十一面観世音菩薩 (秘佛) 、堂内には他に千手観音、聖観音が安置されています。
室町幕府第十二代将軍・足利義晴候の創立、開山は永録四年(1561年)、揚雲法讃禅師(仙谷山寿福寺六世)です。

永録十三年(1570年)、当時領主・加藤太郎左衛門藤原甫成公の中興開山・

鎌倉の臨済宗大本山建長寺の末寺として建立されたが、寛政元年に焼失し、現在の建物は寛政八年(1796年)に再建したものである。
宝永年間に当地の一村民によって開創されたと伝えられる。

当時村内に流行せる難病多きを憂い、平癒祈願のため観音像を祀った。

大正十二年ニ月二十五日の大火により古文書等をことごとく焼失したため、由緒は不明。

昭和五十ニ年、都道拡張工事のため現在の大地に移設した。
平成23年7月16日 平成23年7月9日 平成23年7月9日
第二十四番 第二十五番 第二十六番
神秀山 瑞応院 法音寺 大谷山 吉祥院 法泉寺 吟松山 長閑寺 正光院
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩
江戸中期、この地の人・石井慶崖なるものが火を出し、飼馬を焼死させたことから一念発起、出家して十一面観音像を奉持し、四国を遍歴すること三度、遂に満願成就して、その念仏仏を当山に納めた。 文治三年(1187年)に稲毛三郎重成が比叡山の文顕阿闍梨とはかり、創建したとされる。

また天文年間(1532〜54年)に僧侶の存心が中興開山したともいわれ、本尊の木造阿弥陀如来坐像をはじめ数 多くの仏像がある。
観音堂棟札には「秩父観音三四尊大工屋敷分邸佐伯兵庫介正矩享保十年十月内藤次左ヱ門俊善建立」とあり、秩父霊場の観音様本尊の全てを奉載し、当観音堂に詣でることにより、秩父霊場三四ヶ所に準じたものとした。

本尊は正徳四年(1954年)、旧小野宮内藤政右ヱ門重家奉納。

写真は観音堂です。
平成23年7月17日 平成23年6月25日 平成23年7月17日
第二十七番 
瀧本山 不動院 慶性寺
聖観世音菩薩
開山は詳かではないが、開基は朝賢、寛政四年(1463年)と伝えられる。

御本尊は大日如来で木彫座像、仏師年月不詳、不動堂に安置されている。

不動堂には不動尊と共に聖観世音座像が安置されている。

駆込み寺伝説も残っている。

多摩四国八十八か所第十一番札所となっており、昭和55年現在の本堂に建て替えられた。
平成23年7月9日
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