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第十二番 仏道山 野坂寺 本尊:聖観世音菩薩 |
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いよいよ二日目に入りました。 前日は駅から離れた所に宿泊したため、駅まで戻り十二番さんへ向かいました。駅からはそれ程時間は掛りません。 本尊の聖観音立像は杉の一本造りで平安時代のものだそうです。 今日は暑いです。 |
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十二番さんからは駅を挟んで反対側。 健脚の方は初日に十二番さんまで巡ってしまえばここは駅から近いので良いのではと思います。 輪蔵の周りには秩父霊場を開創したとされる十三人の権者の像が安置されています。 |
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十三番さんからは近いです。 こちらは、すぐ近くの今宮神社と明治以前まで神仏習合の寺院として、修験道の総本山として有名な京都・聖護院の直末として繁栄していたとのことです。 この観音堂は江戸時代の建立だそうです。 本尊は弘法大師作とされる聖観音様です。 |
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ここも十四番さんから結構近いです。 十五番札所は元は秩父神社境内にあった母巣山蔵福寺だったが明治維新の神仏分離で廃寺、東町柳町にあった五葉山少林寺が現在の地に移転し、蔵福寺と合わせて札所を継承することになったとのことです。 この本堂は漆喰塗籠の土蔵造りだそうです。 |
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本堂も兼ねた観音堂は宝永七年(1710年)のの建立、本尊は行基作と伝わる千手観音様です。 本堂(観音堂)の写真がありません。 もう疲れてきたようです。体力がありませんね~。 |
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この辺はほとんど街中を歩いています。 十六番さんからは20分ほどでしょうか。 平将門の子孫・壬生良門の忠臣林太郎定元の墓があることから、定林寺と名付けられたとされるとのこと、地元の人は林寺とも呼んでいるそうです。 しかし今日は暑いです。汗だくになっています。 |
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こちらは昔は神社だったそうです。 本尊の聖観音は両手で蓮の花を持ったお姿で、高さ約1m、室町期の作と伝えられています。 納経所で 「すごい汗ですね~。大丈夫ですか?。」 と言われる。 元々汗っかきなんです。 |
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途中で逆打ち?の方とすれ違う。 「十八番は何処ですか。」 「すぐそこですよ。」 ただそれだけの会話ですが今日は初めて霊場巡りの方と会いました。 お寺さんは巨大な堆積岩の岩盤の上に建っています。 ここでしばし休憩。中々先に進む気力が湧いてこない。 さあ、がんばるぞ次は二十番だ。 |
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川の手前の食道で昼食にしました。 ここは川のそばの少し登った所で趣のある境内です。 江戸時代から今に続く旧家、内田家の個人所有だそうです。 本尊の聖観世音菩薩は平安時代の作と伝えられています。 |
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先ほどすれ違った方が現われました。 逆打ちではなかったようです。 こちらは、火難に対して霊験があることから「火伏観音」と呼ばれているそうです。 雲行が怪しくなってきました。 |
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立派な山門が印象的でした。 寺伝では延喜十五年(915年)、この地に天然痘が流行した際、山奥の蒔田村の岩間から湧く清水を、ここの観音に祀ってから患部につけたところ、たちまち快癒、子供を病気から守る観音様として知られるようになったとのことです。 雨がぽつぽつと降り始めました。 |
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二十三番さんへは山道を登ります。 寺伝では、円福寺二世の南岩天陽が応永十九年(1411年)に荒廃していた寺を再興、小鹿坂峠の頂上近くに安置されていた慈覚大師作の観音像を移したとされているそうです。 雨が本格的に降り出します。 |
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二十三番さんで雨が激しくなってきました。 まさにスコールみたいな雨でした。 しばらく待っていましたが止みそうもないので 覚悟をきめて歩き出します。 左は観音堂への石段です。 本尊の聖観音像は天照大御神の作とされているが、実際は室町期の作とのことです。 時刻は16時、次までは行けそうもありません。 「今日は何処までいかれますか」 「今日はここまでにします」 「でしたら10分後に秩父駅行きのバスが来ますよ」 今日は打ち止めです。 |
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