第十番 |
第十一番 |
八形山 安住院 蓮華寺 |
高平山 遍照寺内 観音寺 |
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聖観世音菩薩 |
十一面観世音菩薩 |
慶雲元年(704年)、文武天皇の勅願によって創建。
開基は行基上人。
寺記によると、八形山には36坊の諸堂があり、学問所として栄えた。
天長八年(831年)、慈覚大師・円仁が在住したとあって、その格式がしのばれる。
東海道における法相宗本山として一里四方の寺領を誇ったそうです。
遠州三十三観音霊場の第一番札所でもあります。 |
元和元年(1615年)、高野山の木喰秀海上人により創建。
観音堂脇に鎮座する青銅製大日如来像は東海一とうたわれる。(5.28m、享保三年建立)
本堂は方形造り、頂点には大きな宝珠。
本尊に弘法大師を祀り、その唱号「南無大師遍照金剛」から、寺号を「遍照寺」としている。
参道は車で登れますが狭いので私は下から歩いて登りました。
(ちなみに地元の方は皆さん車で登って来ました:
絶対すれ違えないのに。。。。。) |
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平成23年1月8日 |
平成23年1月9日 |
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第十二番 |
神宮山 長源庵 山崎 |
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如意輪観世音菩薩 |
応永年間初期、大高山山麓にあった大洞院の六門、円通院の門前、寺田村の地に仏堂があり、如意和観世音菩薩を祀っていたことが寺記にある。
その後、維新の際に、現長源庵の境内に移築されたと言われている。
従って現在「長源庵山崎」と称しているのは、元来観音堂のあった所が寺田村の山崎であったことからとのことです。
ご朱印は最福寺さん(右の写真)で頂きます。
(住所は霊場一覧を参照下さい) |
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平成23年1月9日 |
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第十三番 |
大尾山 顕光寺 |
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千手観世音菩薩 |
掛川市本郷長福寺の第二代智顕上人が、大同二年(807年)二月十七日に、「ひょんの木(いすの木)の茂る山頂、此処に我を祀り広く功徳を施せ」との霊夢を見て、この地に観音堂を建て千手観世音菩薩を祀ったのが始まりと伝えられる。
江戸時代には掛川藩の祈祷所として手厚く保護され、信仰を集めてきたそうです。
観音堂(写真右)は大尾山(661m)の山頂、山腹の駐車場から本堂(写真右上)まで10分程の登り、観音堂まではさらに5分程の登りになります。
駐車場まで今回「ならここの里」キャンプ場側から登りましたが非常にせまいので車の方はやめた方が良いと思います。
反対側の上西之谷方面から登った方が道幅は広いです。 |
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平成23年1月9日 |
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第十四番 |
瑞霧山 大雲院内 知蓮寺 |
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聖観世音菩薩 |
大雲寺の本寺は、静岡・安部川の西慈悲尾にある増善寺である。
今川義元の父・氏親の開基になる。
増善寺第七世蘭室宗佐和尚がこの地に閑居し、大雲院を営んだという。
「掛川誌稿」によれば、この寺の末寺に知蓮寺があり、観音が祀られていたが、延亭四年(1747年)、堂守がいなくなったため、坂下の「地蔵院」に移転されていた。
昭和50年に、現在の大雲院内に観音堂が新築され安置されることになったとのことです。
遠州三十三観音霊場の第五番札所でもあります。 |
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平成23年1月9日 |
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第十五番 |
五台山 文殊寺内 浄円寺 |
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十一面観世音菩薩 |
文殊寺は長徳年間(995~999年)の創建。
開山は如雲闇公、当初五台山清源院文殊寺と号した。
かつて初馬の六万法にあって大きな寺院であったが、天文年間(1532年頃)に兵火に遭って焼失した。
浄円寺観音堂は元録初年(1688年)頃の建立かとあります。
弘化二年(1845年)、十四世大堤によって新築された。
立派な宝珠がのった方形造りで美しい反りを見せている。 |
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平成23年1月8日 |
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第十六番 |
龍洞山 真昌寺 |
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馬頭観世音菩薩 |
室町時代、河合一族の山城「水垂城」に、武運、領民守護を祈念して馬頭観世音菩薩を祀ったのが始めという。
応仁の乱(1467~77年)の余波と今川氏西侵により明応五年(1496年)、落城。
堂宇は焼失したが観音像は難を逃れた。
寛永三年(1626年)、永江院九世建庵和尚により、観音菩薩別当寺として寺号を「龍洞山真昌寺」と定め開創し、観音堂を再建した。
その後、多難の歴史を乗り越え、平成九年、地域住民により観音堂を改築、同時に掛川城主山内一豊の護持仏「水垂高森聖観音」を合唱した。 |
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平成23年1月8日 |
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第十七番 |
第十八番 |
日林山 天養院 |
新福寺 |
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聖観世音菩薩 |
十一面観世音菩薩 |
古文書によると、今から四百年前の慶長年間の創立。
明治維新の廃仏毀釈の影響により、明治六年に廃寺となった。
ご本尊は菊川町の本寺である龍雲寺に移された。
昭和初期、宮脇地区にたびたび疫病が蔓延、死亡者が出るなど多くの人々が苦しんだとき、このご本尊を再び天養院へお迎えし安置したところ、たちどころに一切の悪鬼が退散したと伝えられている。
ガイドブックに記載の住所は元管理者の方の住所で観音堂の住所とは異なります。
本来の住所は霊場一覧を参照下さい。
ご朱印は観音堂の入口(左上写真)の所のお宅で頂けます。 |
古老の伝えるところ、あるいは昭和初期発行の寺札によると、新福寺は小夜の中山久延寺の奥の院であったとのこと。
現在地の堂宇は天文五年(1536年)に再建されたという記録がある。
何らかの理由で小夜の中山を下りたということだろうとのことです。
ご朱印はガイドブック記載のお宅に電話すると来て頂けます。 |
平成23年1月8日 |
平成23年1月8日 |
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