栗ヶ岳(532m)の山頂から少し南に下ったところに観音堂跡があります。
かなり朽ちかけてはいますが、かつては立派なお堂だったのでしょう。
山頂には「阿波々神社の社叢」があります。
天平八年(736年)の創建と伝えられ、延喜式内社として1,260年余りの昔より掛川の里々はもとより、駿河・遠江地方の人々に広く崇敬され、その名ははるか京の都にも知られていたそうです。
車で行けますが普通車だとちょっと・・・・・ |
金谷坂の曹洞宗金龍山洞善院の末寺で、江戸初期まで観音寺坂の途中にあったと伝えられている。
江戸中期に久翁長公座元が開基となって開山。
昭和六年(1769年)、海牛見老和尚が観音寺坂より現在地に移転、観音堂を中興した。
毎年秋彼岸に開帳されるそうです。
ご朱印は観音堂の直ぐ前のお宅で頂けます。 |
本堂に安置された厨子の背後に墨書された記事に「天和元年辛酉(1681年)霜月念四日、欽敬日に、奉造立斯地蔵殿、壱宇。文栄代也、願主、高木冶三朗、雲母浩右衛門、宇野太郎兵」とあって、一応これを創建と考えている。
本堂西側にある小堂宇の観音は「歩き観音」として知られている。
足腰に痛みのある人にご利益があると言われているそうです。 |