遠江三十三観音霊場  第十九番〜第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
明照山 慈明寺 子安山 観音寺 宝聚山 相伝寺内 光善寺
聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 聖観世音菩薩
永亭三年(1431年)の創建。

伝説によると、昔、この山中に一人の美女がやって来た。
「観音経に帰依した人の妻となって、子供を養育します」というので、村人はこぞって結婚を申し込んで来た。

女は「私は一人だから多くの人の妻にはなれません。もし私を思うのなら観音経を読んで下さい。そうしたら必ずあなた方の童子童女を守護します」と言い、観音像一体を残して姿を消した。

ご朱印はお堂に向かって右側2件目のお隣のお宅です。
(ガイドブックに記載のお宅から替わられています)
天正二年(1574年)に火災に遭い創建年代は不詳。

本堂の棟札には、天正十七年(1589年)四月の記録とともに、「佐野群千羽郷大原子村、徳川殿御代、御地頭長戸上(ながとのかみ)の時」とあるそうです。

これは掛川城主・石川日向守家成の子、天正十二年に父の後を継いで城主となった長門守康通時代の建造を示しているとのことです。

ご朱印はガイドブックに記載のお宅から替わられています。
天長二年(825年)の創建とされる。

「天台宗、紫雲山 光善寺」が元来とされるそうです。

御詠歌の「春は花秋はもみじの露までも 宿れる月も光よき寺」がそれである。

現在の「相伝寺」は日坂本陣・扇屋当主、片岡清兵衛が京より僧を招いて慶長二年(1597年)に開基した。

この辺りは江戸時代には宿場町として利用されていました。
平成23年1月9日 平成23年1月9日 平成23年1月9日
 第二十二番 第二十三番
天王山 観泉寺内 長福寺 龍谷山 常現寺内 観音寺
千手千眼観世音菩薩 十一面千手観世音菩薩
大永七年(1527年)の創建と伝えられる。

栗ヶ岳の麓、東山に有り、かつて徒歩での巡礼が盛んだった頃、巡礼の多くはこの寺に参拝、投宿して翌朝、栗ヶ岳山頂の二十三番観音寺を目指したそうです。
(無間山観音寺は平成六年、常現寺へ、現在も山頂には老朽化した観音堂があります)

当日は風が強く、山麓にあるためか寒さも格別でした。
天平年間(729〜49年)に、修験者・弘道仙人が釣鐘を造立して栗ヶ岳山頂の松の枝に掛けた。

これが観音寺の歴史の始まりと伝えられています。

弘仁二年(811年)三月、弘法大師がこの栗ヶ岳に登り小堂を造り仏像を安置した。

承和年間(834〜48年)、僧長然が草創、宝冶年間(1247〜49年)僧恵徹が曹洞宗無間山観音寺と改称した。

こちらは遠州三十三観音霊場の第八番札所でもあります。
平成23年1月9日 平成23年1月9日
第二十三番 第二十四番 第二十五番
無間山 観音堂跡 岩崎山 観音寺 松島山 岩松寺
十一面千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
栗ヶ岳(532m)の山頂から少し南に下ったところに観音堂跡があります。

かなり朽ちかけてはいますが、かつては立派なお堂だったのでしょう。

山頂には「阿波々神社の社叢」があります。

天平八年(736年)の創建と伝えられ、延喜式内社として1,260年余りの昔より掛川の里々はもとより、駿河・遠江地方の人々に広く崇敬され、その名ははるか京の都にも知られていたそうです。

車で行けますが普通車だとちょっと・・・・・
金谷坂の曹洞宗金龍山洞善院の末寺で、江戸初期まで観音寺坂の途中にあったと伝えられている。

江戸中期に久翁長公座元が開基となって開山。

昭和六年(1769年)、海牛見老和尚が観音寺坂より現在地に移転、観音堂を中興した。

毎年秋彼岸に開帳されるそうです。

ご朱印は観音堂の直ぐ前のお宅で頂けます。
本堂に安置された厨子の背後に墨書された記事に「天和元年辛酉(1681年)霜月念四日、欽敬日に、奉造立斯地蔵殿、壱宇。文栄代也、願主、高木冶三朗、雲母浩右衛門、宇野太郎兵」とあって、一応これを創建と考えている。

本堂西側にある小堂宇の観音は「歩き観音」として知られている。

足腰に痛みのある人にご利益があると言われているそうです。
平成23年2月5日 平成23年1月9日 平成23年2月5日
第二十六番 第二十七番 
杖操山 妙国寺 瀧生山 永宝寺内 慈眼寺
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩  聖観世音菩薩
およそ500年前に、現在地より300m上った「寺の跡」(てらがいと)と呼ばれる場所に、普門殿という観音堂が創建され後に寺となったことが妙国寺過去帳に記されている。

寺となったのは元和二年丙辰年(1616年)。

その後、金谷町・洞善院九世実参黙真大和尚が開山となり、現在地に移して普門山明国寺とした。

その後、明治末期ころに、現在の杖繰山妙国寺と改められた。
創建年代は不詳。

天和三年(1683年)春、観音堂移築造営の折りに、その土中から聖観世音菩薩(金銅製・立像)が出現した。

第二代・久仙法印の時に開扉供養を行い以来両観音を本尊として祀っている。

小笠群唯一の修験道寺院、代々「滝の谷法印」と浴称され檀家をもたない祈祷寺として信仰されている。

ご住職は玄関で日向ぼっこの最中、ご挨拶してお参りしてご朱印を頂きました。
平成23年2月5日 平成23年2月5日
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