津軽三十三観音霊場   第一番~第九番
 
第一番 第二番 第三番
護国山 久渡寺 清水千手観音堂(多賀神社) 岩木山 求聞寺
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩 聖観世音菩薩
今回は新幹線で新青森に行き、レンタカーを借りての巡礼となりました。

お寺さんに着いたのが13時少し前お参りを済ませて庫裡に向かうも留守の様子。

いきなりしばし待つことに。。。
15分程すると下から車が登って来る音が聞こえて来てご住職と奥さんらしき方が下りて来ました。
無事、納経帳をゲット、巡礼の始まりです。
神社が多いことは調べていたので分かっていましたが、石段登りなど結構な登りが待っていようとは余り考えていませんでした。

一番さんに続いてこちらもそこそこの登りです。

一番さんで掻いた汗も収まらない内に又も汗だくになりました。

だだ、これで終わりでは無かったんですけど・・・
岩木山神社の隣にあり参拝後に訪れました。

求聞寺が札所となったのは明治二十六年で、それまでは岩木山・百沢寺が三番札所だったそうです。

百沢寺は今の岩木山神社だそうで明治初期の廃物稀釈令により廃寺になったようです。
平成27年08月08日 平成27年08月08日 平成27年08月08日
 第四番 第五番 第六番
紫雲山 南貞院 十越内 巌鬼山観音堂(巌鬼山神社) 湯舟観音堂(高倉神社)
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
小さいですが鮮やかな朱色の観音堂です。

こちらが札所となったのは昭和四十二年だそうで、それまでは300mほど離れたところにある賀茂神社が札所だったそうです。

観音堂右手に無人の朱印所があります。
明治の神仏分離までは十腰内観音堂と称していたそうです。

神仏分離令により堂宇をそのまま社殿にして巌鬼山神社とした。
十一面観音像と鰐口は百沢寺に預けられたが廃寺により取り戻されたとのことです。

朱印所は神社右手にある長見宮司宅。
入口付近には大きな津軽六番の看板があるんですぐ分かったんですが、駐車場がありません。

なので狭い道に路駐することになります。

飛竜宮と呼ばれていたそうですが神仏分離令によって高倉神社に改められた。
平成27年08月08日 平成27年08月08日 平成27年08月08日
第七番 第八番 第九番
北浮田弘誓閣(高倉神社) 日照田観音堂(高倉神社) 見入山観音堂
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
こちらが七番霊場になったのは、寛延年間(1748~51年)とのことです。

以前の七番は弘前・報恩寺にある護摩堂観音。

境内の大きなイチョウの木の側には、清水がこんこんと湧き出していたそうです。

観音頭は昭和41年の再建、この時に「弘誓閣」と名付けられた。
田園の中に建つ鳥居、この先に高倉神社があります。

丘陵の麓にも鳥居があり又もや石段登りが待ち受けていました。

本尊の十一面観世音菩薩像は神仏分離令の際、神官が隠しておいたものだそうです。
入口の鳥居を潜ると「ケッパレ」の観音様、汗をかきかき登って行くと「あと少し」の観音様、ピークを過ぎ少し下ると「そぐそこ」の観音様。

参道の途中、左手上には胎内くぐりの洞窟があります。

その先にあるのが洞窟に嵌め込まれるように建てられている観音堂があります。
ここまででは一番きつい登りです。
平成27年08月09日 平成27年08月09日 平成27年08月09日
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