弘安八年(1285年)、鎌倉・極楽寺開山の忍性津師が甲州へ行く途中、堂ヶ尾山天徳堂を創設したと伝える。
後、円海蓮乗法師が天徳堂から根本へ尊像を写し、牧野山天徳寺と改めたと伝える。
第三世・乗兼忍海律師の時、先師の僧号を院号とし、牧野山典徳寺蓮乗院と改めたという。
境内を歩くと奇音が鳴り響くので何かと思ったら、動物避けだそうでした。 |
明治の初期まで、青根地区には平丸に長昌寺、上野田に泉福寺、東野に長蔵院の三ヶ寺があった。
長昌寺は明治十五年、大火で焼失、当時の住職・正岡禅照和尚は無住だった泉福寺に住み、大正二年に泉福寺を合併して長昌寺を継いだという。
参拝当日は法事が行われていて、観音様を拝むことができず、外からの参拝となりました。 |
ガイドブックに寺歴が乗っていますが、細かくて書ききれません。
慶長十二年(1608年)示寂の洞昌院(伊勢原市)第三世・学峰守養大和尚の時、曹洞宗の寺になったらしいとのことです。
丁度、マクロバスで来た参拝者と重なり賑やかな中でのお参りになりました。 |